殆んど毎日起る火災や盗難を免かれたにせよ、僅か二三十年で住まはれなくなつたり、少なからぬ手数のかゝる日本在来の住宅は不経済極まるものであります,たとへ一時の建築費は幾分高価であつても、現代設備を有する永久的建物であるアパートメント・ハウスは結局最も経済的のものであります、然るに我国にアパートメントとして知られて居るのは、多くはテネメント・ハウス(貧民長屋)に類するもので,ほんとうのアパートメント・ハウスはまだ知られて居りません、それで、我国初めての試みとして文化アパートメントが忙しく活動する人達の為めに建設されたのであります。
一 日本初めてのアパートメント・ハウス
文化アパートメントの生活 目次へ戻る
文化アパートメントの建築様式は単純美と実用価を主とするスパニッシュ・ミッション式でありまして、大震災の尊い経験によつて設計された其の構造は恰も鋼鉄艦のやうに建物の全部を鉄筋コンクリートで強固に連結し、それが東京一に地盤の堅い本郷元町高台の地下に深く埋められて居ります。此の耐震不燃質の構造と共にスチール・サッシュ、ウアイア・グラス、防火戸等の耐火に必要な防火設備を有し、又耐音の為に壁、天井、床等の音響絶縁に最善の注意が盡され、更に本館居住者約七十世帯の各住宅の戸締にはナイト・ラッチ、玄関戸にはバス・キー等の用意が整うて居ります、だから文化アパートメントの生活は耐震、耐火、耐音、耐盗の点に於て頗る安全であります。
現代科学の生んだ学理が巧に活用され空間も面積も一寸のムダのないやうに、又人力を出来るだけ節約して苦しい仕事は成るべく機械にさせるやうにしてありますから生活は非常に便利であります、例へば熱湯は年中約三十石入のタンク一パイに沸してありますから各室にあるネヂ一つ廻せばお湯も水道の水と同様に使はれ入浴も洗濯も勝手な時いつでも出来ます、塵芥はインシニレーターで毎日焼き、大小便は洗水式[フラッシュ・システム]で完全に処理され、各階を通じて三ヶ所に階段の設けある他に、安全第一のオチス自動エレベーターを用ゐ居りますから運転手の煩ひなしに手軽に利用されます。
文化アパートメントの位置は東京の中心帯にあり、幅十二間の大道路に面して市電、省電、自動車等の交通が頗る便利であります、そして茗渓御茶の水の絶景や富士の雄姿を前景として活動と安息の両方を兼備しております。
それに加へて各アパートメントには単室のものにまで全部電話がついて居りまして、地階には自動車庫、理髪所、倉庫等、第一階には公開食堂、宴会室、社交室、郵便取扱所、屋上にはルーフ・ガーデン、運動場等の設備がありますから生活の能率は自然に増進します。
文化アパートメント居住者で病気にかゝられる方が非常に少ないのは不思議なほどです、バラック住ひが夏の暑さに堪へられない反対の理由で、コンクリート建物が涼しいばかりでなく、神田川の流れにそうて吹いて居る風が絶えず涼味を与えてくれます、殊に千人を楽に容れられる屋上庭園[ルーフ ガーデン]は真夏の候でも暑さを覚えません。故に『設備不完全な避暑地に行くよりは文化アパートメントのルーフで気楽にアイスクリームでも食べて消夏した方がよい』などいはれる方が年々多くなります。
又文化アパートメントの冬は寒さ知らずであります、暖房は温水式のラヂエーターを用ゐて居りますから、スチーム式より気持ちよく、外は零下の厳寒でも館内はいつも春の暖かさを覚えます。
更に夏になると五百の窓と十数の入口に全部金網戸[スクリーンドア]をつけますから館内には蚊も蠅も居りません、従つて蚊や蠅による悪疫伝染の恐はありません、夏蚊帳がいらなかつたり、蠅の居ない住宅や公開食堂等を事由に利用の出来る生活は唯今のところ我国では其類が甚だ少ないのであります。
文化アパートメントでは『奢侈を排して凡ての快楽を取入れやう』(No luxury but every comfort.)を生活様式の標語として居ります。従つてそこの気持ちのよい場所に上品に装飾をした社交室、公開食堂、宴会室等が設けてあります、食堂では栄養学理を基礎として熟練した料理人のこしらへる標準食糧を廉価に提供し、英和両文で書いた献立表には各料理の代価とカロリー量等記入してありますから科学的に食事することの出来る便と快があります。又大小各種の上品な宴会が催し得らるゝ設備もありますから、之を利用すれば社交改善の一助ともなりうるのであります
舊慣に囚はれない自由な生活と、能率の高い進歩的生活を楽しめる文化アパートメントで気品のある七十世帯の一大家族が気持ちのよい生活を送ることの出来るのは自然の結果であります。
文化アパートメント居住者は各種共同の設備を利用しますから小さい四坪位の単室住ひの方でも在来のだたひろい(注:傍点あり)日本住宅より遥かに経済に住へます。
手数のかゝらないやうに設備のできたアパートメントであり、それに訓練された家事実習生を時間で使ふ事もできますから全然女中なしでも暮らせます。
アパートメント利用料即ち借家料は表面的には普通の日本住宅より勿論高価であります、が実質的には非常に廉価なのであります、地価坪当参百円以上の土地に建築費坪当四百円以上をかけて単室にまで一々電話をつけ、あらゆる文化的設備のある住宅でありますから、普通の計算法によると合理的利用料は少なくとも坪十二円を必要とするものであります(森本厚吉著『新しい住宅の研究』参照)けれ共利用希望者が非常に多いのと其経営を社会奉仕的に致して居ります関係上、目下坪十円を標準利用料として居ります。
そしてその利用料のうちには普通の家賃に含まれない色々の料金が含まれて居ること、又文化アパートメント一坪の利用率は日本普通住宅の約三坪に相当すること、更に此の生活によりて因襲生活のムダを省き易きこと、又二三倍の活動が出来ること等考ふる時はアパートメント住ひは非常に経済的であります、此の事実も文化アパートメント居住希望者が非常に多数である理由の一つでありませう。
(七)温かな生活
文化アパートメントの生活は単に肉体的に暖かなばかりでなく、精神的にも温かいやうに管理上最善の努力を払うて居ります、文化アパートメント居住者は自然と気品の高い内外人指導階級者のみに限られるやうになりますから館内の気風が何となく高尚になつて居ります。
それに加へて文化アパートメントで働いて居る若い人達は普通の雇人ではありません、大ていは中等教育以上の教養ある良家の子女であります。そして私共は此の人達に『微笑をもつて人に奉仕する』と云ふ貴学問を先づ練習させて居るのであります、従つてその言動に不行き届きなことがありまして、親切、丁寧、勤勉等を旨として文化アパートメントの空気に何となく温かな家庭的の気分をたゞよはせたいと努めて居るのであります。