大出春江
- 1) 在宅サービスケアセンターでの実習を終えて(Tさん)
- 2) 障害者福祉施設での実習を終えて(Iさん)
- 3) 高齢者在宅サービスセンターでの実習を終えて(Kさん)
- 4) ボランティアグループ「かわせみ」(切手整理)との共同作業を終えて(Mさん)
- 5) 知的障害者通諸施設での実習を終えて(Aさん)
ボランティア実習から学んだこと
本学では社会福祉は教養・教職コース時代から必修科目として履修することが義務づけられている。
社会福祉という、実学としての歴史をもつ講義科目を、1年の半期だけでその概要から基本的考え方まで講義するのはかなり難しい。解決策の一つとして、講義を担当することになった1988年から10年間、社会福祉施設における見学実習を併せて行い、それに関するレポートを提出することを社会福祉の課題としてきた。
1997年、教養・教職コースの性格をより特色をもったものにするために、3つのサブコースからなる人間環境コースへと変更したが、その一つ、生活文化サブコースではボランティア実習をサブコース指定科目として新たに加えた。従来の社会福祉という講義科目の一部としての見学実習と異なり、最低3日以上、夏期休暇中に社会福祉施設で実習に参加するというものである。
実習先の選定は学校から紹介する方法と自己開拓で決める方法の二通りがあり、学校からの紹介は杉並ボランティアセンターの協力を得て、杉並区内のさまざまな社会福祉施設やボランティア活動団体に参加する形をとっている。こうしたボランティア活動をカリキュラムに組み込み単位化することは、ボランティアの本来の意義を考えるとまったく矛盾に満ちたものになるが、あえてこれを生活文化サブコースの指定科目としたのは、そうした矛盾をはらみつつも、学生にかけがえのない、他者とかかわる出会いの経験をしてほしい、狭義の福祉を超えた共生していく経験とそのために必要なこととは何かを学びとってきてほしいという意図があったためである。
しかし、実習先に送り出す側の意図とは別に、実習生を受け入れる側はむずかしい問題を抱えることになる。すなわち介護福祉士や保育士あるいは栄養士といった専門資格をとるための学生の実習と異なり、ボランティア実習とは資格取得と関係のない実習であるため、現場実習を行う際に、どこまで対象者にかかわってもらうか、どこまで指導をするべきかという施設側の判断にも混乱を招いてしまう。事実、第一回目のボランティア実習後、都内の実習施設を回っていた際に、施設側からは、仕事をしてもらう以上は責任をもってやってもらわなくてはならないが、実習後資格を持って再び現場に戻ってくるわけではないからその範囲内の仕事、という判断で指導をするという声も聞いている。
杉並ボランティアセンターのスタッフ正木 茂氏は、そうした施設側の声に対し、それでも広く間口を開け、訪れるボランティアに対し活動の機会を与えることが必要であり、それがまた受け入れ側が問われる技量だという。最初から何をすべきかわかってボランティア活動ができる学生はごくわずかであり、機会を与えられなければ教育にもならないことも事実であるが、それでも送り出す側は「現場の方のご迷惑にならないだろうか、大丈夫だろうか」と不安を抱えながらお願いすることになる。
2.本学における実施状況
1998年のボランティア実習を履修し、夏期の実習に参加した学生は24名であり、この数は1999年も同様だった。ちょうど10年前、この『文化生活』 号に社会福祉について書くようにということで、学生向けの講義ノートという形で、前半に社会福祉の基礎的知識、後半には1989年度履修者の社会福祉施設見学実習の状況についてまとめてみた。その時のレポートと1998年度、1999年度のボランティア実習報告書とを読み比べると、いくつかの変化に気づく。そのうちの一番大きなものは、福祉とかボランティアに対する考え方の変化ではないかと思われる。
10年前の文化生活には、社会福祉という科目に対する忌避感が学生に共通して見られるとわたしは書いている(当時の社会福祉履修者の数はおよそ100名〜110名程度)。バブル期のはじめの頃である。しかし、この10年間の間に、日本の経済にも大きなかげりが見られるようになり、1995年には阪神淡路大震災も経験した。この震災の年はボランティア元年とも呼ばれ、今までボランティア活動とは無縁だったたくさんの一般市民が、いたたまれない思いで神戸に駆けつけた。そしてこれを契機にボランティアという言葉は日本社会の中で市民権を得た。
本学におけるボランティア実習が実質的に始まったのは1998年からであるが、生活文化サブコースを選択した学生の多くはボランティア活動にそれなりに関心はもっているものの、実際のところまったく経験がない学生がほとんどであった。
いざ実習をするとなると、自宅近くの社会福祉施設のいくつかをあたり実習先を決めたり、朝9時から5時まで、職員と同じ時間帯で実習に入り、初対面のたくさんの人と挨拶や言葉を交わすなど、たくさんの「めんどうくささ」や緊張感を経験することになる。それ以上に、実習に入っても「何をしたらいいのかわからない」という状態が学生にとってはもっとも負担になるようだ。
そういうわけで、総論としては学生の時期にボランティアを経験することは誰もが望ましいと考えてはいても、実際のところ学生の側もするべき内容がつかみきれないまま実習が終わってしまうこともしばしばであった。そのあたりを知っているためか、あるいは対象への関わりやすさを考えてか、保育園実習を希望する学生は大変多い。これはこの10年間に共通してみられる傾向である。
こうした中で、老人福祉施設や障害者福祉施設を選ぶ学生は、ボランティア実習に対して自分なりの意義を見いだしたいと考え、実習先を選択しているようだ。とりわけ、障害者福祉施設を選ぶ学生にその傾向がみられる。すなわち、必修だから、ともかく3日間我慢して終わらせようというよりは、日常生活では関わることのない人々との関わりを通して、自分のもてる力を発見したり、自分のこれまでのもっていた常識や当たり前の世界を、別の角度から見直す場としたいという積極的な姿勢である。
ここでは、そうした学生の自己発見と変化を読みとることのできる実習報告書の一部を紹介したい。
3.ボランティア実習の現場から−ある学生の実習報告書から−
わたしは実習が始まる前、とても不安と緊張でいっぱいでした。老人の方々とちゃんと話せるのかなとか、うまく溶け込んでいけるのか、と行きたくないなって思ってしまったりしていました。
しかし、当日になって施設を訪れてみると、職員の方々もとても親切で、分からないこともたくさん教えてくれましたし何をしていいかわからない私に場を作ってくれたりと、迷惑をかけたこともありましたが、とても有意義に実習を送ることができ、自分にとってもいい体験になりました。(中略)
この3日間、とても大変だったけど、すごく充実したと思います。勉強になることもいっぱいありました。最後、一日が終わった後のお見送りがあって利用者さんに「今日はとても楽しかった。また来週もよろしくお願いします」と言われ、私は今日までしかいないのになって、なんだか、うれしいのと胸がいっぱいで涙がでました。やってよかったなあと思いました。
自分が一体どれだけのことができるのかが発見できてよかったと思います。機会があればまたやりたいと思いました。
2)障害者福祉施設での実習を終えて(Iさん)
実習前と後でイメージが変わりました。それどころか、思った以上に人なつこくみんな接してくれるのですぐ友達になれました。それまで、接しづらいというイメージでしたが、(中略)少し障害があるという以外、わたしと一緒なんだと思いました。多少はやはり、聞き取りずらく、何を言っているのかわかりずらい人もいました。 (作業所の人が働いて)月にいくらくらい給料をもらっているかと担当の方に聞いたら、4〜5,000円でいい方だそうです。自分がいかに恵まれているかがわかりました。でも、みんな金額は全然気にしていないようでした。一人の女の子は、給料を全部お母さんに渡していると言ってました。「私がいっぱい働いて、お母さんを楽させる」と言っていたことには、すごくえらいなと感動しました。
福祉(=ボランティア実習)の体験をして、障害者の人を見て困っていたら、今まではどうしていいかわからず、少し偏見もあったと思いますが、今ではもうきっと手助けすることができると思います。もっともっとたくさんの人がボランティアの体験をして福祉について考えるようになれば、絶対これからの日本の制度や人も変わってくると思うので、たくさんの人にどっかしらの場面で少しでも携わってほしいと思いました。
3)高齢者在宅サービスセンターでの実習を終えて(Kさん)
3日間のうち、一日目だけは痴呆性高齢者の会だった。初日に痴呆性[高齢者]だったので、最初は、レクリエーションで歌を歌ったり風船投げをしたり、また、お人形を抱いていたりテレビを見ていたりといった状況が普通なのかと思ってしまった。しかし、二日目、三日目を見て、一日目の状況がいかに痴呆性[高齢者]向けの方針だったかということがわかった。(中略)イメージでしか知らなかった痴呆性の特徴を生で実感できた。私の名前を何回も聞いてくる人もいれば、持っていないものを持ってきたと言う人もいれば、同じ話しを何度も繰り返す人もいた。(中略)一日目の最後に、車椅子の取り扱い方を少し教わった。車椅子のたたみ方や押し方、さらには私が車椅子に乗り、介助さんにおしてもらった。
二日目、三日目の高齢者たちは、一日目とは雰囲気ががらりと変わって、おしゃべりが大好きでとてもにぎやかだった。(中略)午後のレクリエーションでは、フラダンスをやっている方たちを招いての鑑賞会だった。私やボランティアの若い子たちは、見よう見まねで踊ることになった。最初は恥ずかしかったけれど、高齢者のうけが良かったので、だんだん楽しくなっていった。二日目、三日目と同じ事をやったが、高齢者の楽しそうな顔が見られてよかったと思う。
充実した三日間を過ごしたと思う。「自分が本当にやりたい仕事がしたい」と考えていた矢先の今回の実習だったので、私は「介護福祉士」をめざすようになった。私は昔から人の役に立つ仕事がしたいと思っていたが、具体的にどのような仕事があるのかわからず、福祉か、子どもが好きなので保育と思っていた。しかし実習に行ってみて、こういう仕事が自分がやりたい仕事なのかもしれないと思うようになった。さらに、実習先に同じ実習生で福祉を専攻している人がいた。その人にいろいろな話しを聞き、私は介護福祉士になりたいと思うようになった。今回の実習は、私にとって将来の決定にまでつながった、重要なものであった。
4)ボランティアグループ「かわせみ」(切手整理)との共同作業を終えて(Mさん)
[回収された使用済み切手を仕分けし、台紙から剥がして乾燥させる作業をしながら]いろいろな会話をしながら作業して、心に残った話しは、「黙って過ごすのも人生、しゃべって過ごすのも人生だけど、せっかくの人生、いろんな人と話をした方がいい」といった人がいた。けっこう私は口数が少ない方なので、これからはもっと積極的に行動しなくてはいけない[と思った]。
(中略)不思議なことに「かわせみ」のグループの人たちは、ある共通点を持っていました。それは、みなさんそれぞれ、6人ともご主人、または奥さんが他界されているのです。そのことを知った時は本当に驚きました。ある人が言いました。「一人でいると、ろくな事を考えないから、ここへ来てみんなと過ごすのだ」と。切手整理というと暇つぶしの様な作業で、楽しいけれども家に帰ってやるまでもないと思っていた私でしたが、この作業で換金したお金で福祉を支え、一方で、活動している自らも支えられているのだと感心した。このコーナーに来て、活動していっぱい笑って帰っていく。なんてすばらしいボランティアなんだろうと思った。ボランティアというと、お年寄りや障害者などを考えがちだけど、見た目的にはわからないけど、苦しんだり悩んだりしている人もたくさんいて、いきる気力もなくしてしまうのなら、[こうした作業を通じて、時には]命をも救っているわけだ。
そういえば去年習った介護の授業で「お年寄りに何か役割を与えないといけない」と言っていた。何かしようとするお年寄りから、仕事を奪いすぎると(お年寄りは自分を)お役に立てない人間だと考え、生きる意義をなくすからだ。
お年寄りだけではない。何のために生きてるのか?と聞かれても、自分でもわからない。(中略)人の役に立っていることはすばらしい事である。そして同じ様な気持ちを抱えた仲間がいて、相談しあえる仲間づくりの場でもあったわけだ。
私はこの4日間の後にも、できる限りこの切手整理に参加した。楽しくて、楽しくてまさしく自発的な行動であった。後期の授業の関係でこれ以上は参加できないけれど、私と切手整理「かわせみ」との出会いは忘れがたいものとなった。ボランティアってけっこう、暇があってもなかなか始まらないけど、出会いが人を変えることもあるわけで、捨てたものでもないなと思った。学生生活最後の夏休みは有意義なものとなった。
5)知的障害者通諸施設での実習を終えて(Aさん)
学校の必修でボランティア実習をやることになった。夏休みにやることなので自宅付近が良いと思い、地元のボランティアセンターへ出かけた。まず、資料を見たら、種類の欄に、高齢者、障害者、児童、医療とあったので、父と相談して、大田区立久が原福祉園に決まった。そこは知的障害者通所施設で、簡単に言えば、彼らが自分たちの力で自分の生活を豊かにする学校である。
たとえば、自分で歯を磨くことが目標で頑張っている人もいれば、咀嚼ができることを目標にしている人もいる。けれども定員に対して、スタッフが少ないために、一人一人にちゃんと目が行き届かないので、活動ペースや活動スタイル、障害者の特性、それに伴うニーズの違いなどを考えて、4つのグループに分けている。私はその中でも脳に障害をおっているが、施設の中で一番軽症の自分の自己主張ができる人たちのグループの担当になった。簡単な説明を聞き終えた後、とうとう体験が始まる。私の気持ちの大半は不安はなかった。それはきっと、友人が以前行っていたことを聞き、彼女にできて私にできないはずがないと思っていたからだと思う。
初めに10代の車椅子に乗った女の子を紹介してもらった。彼女のしゃべり方は苦しそうなので思わずしかめっ面になるのをおさえていた。スタッフは「なんでも彼女に聞いて下さい」と言う。たくさん聞いて早くお友達になろうと思っていた。彼女の今日の作業は、「うたの本」のぬりえだった。わたしは空を青でぬり、彼女は、だんごを茶色にぬっていた。私が「芯がなくなっちゃった」と言うと、彼女は、聞こえなかったのか、黙々とぬりえを続けていた。しかし、スタッフが来ると、彼女は「鉛筆けずりはどこ?」と聞いてくれた。わたしはびっくりしたと同時に、伝わっていたのだという安心感も生まれていた。これをきっかけに、話しもかみあうようになり、二人の話の中に笑い声が入ってきた。もっともっと友だちになろうと思い、コミュニケーションのつもりで車椅子を押していたら、スタッフから「押さない方がいいです。」と言われ、[車椅子を押すのは]その時楽でも、彼女のためにならないとわかった。集中していたのか、時間はあっという間にたちランチタイムだ。
最初は、なんてまずいんだろうと思いながらも全部食べたが、私の正面に、車椅子なしでは、動けないというような10代の女の子が来た。生まれたての赤ちゃんのように、首が座っていなく、スタッフに食べさせてもらっている状態で、何が食べたいかは、なんとか指して伝えていた。食事は離乳食のようで、飲み込むのには、スタッフが首を上に上げて食道を通りやすくしていたが、必ず2〜3回は、むせて苦しがっていた。[私が]慣れていないせいか「オエー」とやっている前で、おいしくは食べれなく、こっちも気持ち悪くなっていた。スタッフは、彼女に食べさせてあげているので、彼女が終わるまで食べれないのだが、彼女は、スタッフに「食べて」をジェスチャーし、ニコッと笑った。やさしい子だった。
彼女は気性の激しい子で、怒ると車椅子の中で力いっぱい暴れるのだ。口でいえない分、体で精一杯伝えていた。ランチタイムも終わり、午前中のぬりえの続きを行った。ようやくできた[午前中作業をいっしょに行った]彼女の顔には、喜びがあった。喜びを誰かに伝えたいらしく、いろいろな人に話しかけていた。私は、彼女を見て思った。私はこのごろこんなに喜んで誰かに伝えたくてしょうがいないって思ったことがあっただろうか。喜びがあったらこんな風に誰かに伝えてもいいんだなと思った。小さな喜びはあっても、誰かに伝えると、その小さな喜びが消えてしまうと思っていたのに、喜びを誰かに伝えることによって、誰かと分かち合うことができる。誰かに伝えて消されそうになっても自分がうれしければ消えないことに気づいた。
(中略)彼らといると、何か自由をもてる気がする。普段、ただぼーっと一日を過ごしている私に、彼らと出会うことで、自由とは、自分の心が決めることで、一生懸命は自由であり、本当はとてもかっこいいものだと教わった。スタッフは私に話してくれた。「障害者をもったことによって、家族や本人は、廻りからの冷たい目に遭ってきたこともあれば、あたたかい声をかけてくれる人もいたこと、それらに負けず一生懸命生きていること。遊ぶことにも、作業にも、彼らを見れば一生懸命さは伝わってくる。だから自分も頑張ろうと思えるようになる。
彼らには、障害なんてないと思う。私がスタッフに、学校の友達の名前と顔は覚えられないけれども、円の人たちは覚えられると言ったら、彼らは、一人一人の個性が違ってそれが目に見えるからだと言っていた。その通りかもしれない。
(中略)彼らといると向上心がよみがえってくる。頑張ろうと思えてくる。
4.ボランティア実習から学んだこと
すべての学生が、この4名の学生のような経験の理解をしているわけではない。学校に来るのとまったく変わらない服装で実習先に行き注意を受けた学生もあれば、最後まで、単位のためだとばかりに、言われた仕事以外およそ積極的な活動を見せず、はるかに中学生や高校生のボランティアの方が積極的で好ましいという評価を受けた施設もあった。
こうした中で、ここに引用した4名の学生のような感想はむしろ少数派ではある。しかし、必ず毎年、何人かはこうした経験を得てくる。特にMさんやAさんのレポートを読むと、なんと素直に周囲の言葉を受け止め、素直に反応し、自分のこれまでを見直しているか、その柔軟な反応に、あらためて、こうした学生の時期にボランティア活動をすることの大切さを教えられる。
お年寄りとの共生、障害者との共生、男女の共生。こんなふうに世の中ではスローガンのように共生が言われる。しかし、共生するということはイデオロギーでもなんでもなくAさんのいうように「オエー」となって一緒に食事をしながら気持ちが悪くなることが日常生活に入り込んでくることなのである。そういう日常的な時間を共有しながら、たくさんのことを、相手から学び、大切に思い、尊敬し、そして自分を振り返る経験なのだろう。
ボランティア実習から学んだことが学生の一人一人の中で、はたしてどのくらい持続するのかわからない。経験した気持ちの昂揚は時間とともに徐々に衰退するかもしれない。しかし、長い人生のどこかで、共生への意志につながるかもしれないのだ。出典: 「ボランティア実習という経験」『文化生活』39号、2000年
−講義のてびき− pp.18-21