メディカ出版『ペリネイタルケア』Vol.19 No.11(2000)

高齢出産は「問題」なのか

大出春江
Harue OHDE
Is It the Problem to Postpone Birthing?


  1. 少子化の原因は何か?

  2. 晩婚化の推移と社会的背景

  3. 戦後の二つの少子化

  4. 選択できるという自由の罠

  5. 高齢出産をする女性が語る子どもを「授かる」経験

  6. 高齢出産をする女性たちが伝えるメッセージ

▼資料〈引用・参考文献〉


1. 少子化の原因は何か?

 6月29日日本の合計特殊出生率が1.34となり、過去最低値を更新したというニュースが報道された。生涯を通じて一人の女性が子どもを産む数を示すといわれるこの特殊合計出生率の低下が問題にされるたびに、どのようにしたらこの数を上向きに変えることができるか、そのための原因を探り、どんな対策を講じる必要があるのかが論議される。
少子化の原因は何か。女性たちは子どもを嫌いになったのか。結婚して子ども産み育てることは人々の人生目標にとって必然ではなくなったのか。未来が不透明な世の中だからこそ、子どもをもちたいという要求に結びつかないのか。女性が子育てより仕事を選ぶからなのか。
 これらの議論の中で、少子化に一番“貢献”しているとあげられるのが晩婚化である。結婚をしないわけではないけれども、さまざまな要因から結婚を遅くし、したがって出産もまた先送りすることが、少子化の最大要因であると考えられている。ここでは論点を晩婚化にしぼり、こうした結婚の先送り、結果としての出産の先送りがなぜ近年起こっているのか、またその社会的効果はなにかということをみていくことにしたい。

表:1 諸外国の平均初婚年齢(歳)


2. 晩婚化の推移と社会的背景

 いつ結婚し、何人の子どもを持つかということは、最終的に個人もしくは夫婦間(またはパートナー間)で決めることである。ところが個人的にみえるその選択も、その時代の一般的な子ども観や結婚観、あるいは家族イメージによって規定されている。それらは親族や友人、職場など身近な人々からの期待、常識といった形で伝達されたり、テレビや雑誌などマスコミによって媒介されたりする。言いかえるなら、出産という行動は生理的行動である以上に社会的行動なのである。
 表1にみる通り、1998年現在の日本の初婚年齢は夫28.6歳、妻26.7歳である。この数値はイギリス、フランス、アメリカと比べると高いが、スウェーデンやデンマークに比べると低い。工業化の進んでいる国は一般的に晩婚化が進んでいる。しかし、他方、これらの国々においては事実婚や婚姻外出生の割合もかなり多いことを考慮すると、日本における晩婚化は先進諸国の中でもかなり進んでいるといえるだろう。また同じ理由から表2にみる通り、国によっては晩婚化=少子化にはなっていないのである。
 では、こうした晩婚化はなぜ進むのか。その直接的理由をあえて3つにしぼるなら

  1. 平均寿命の伸び
  2. 教育水準の上昇
  3. 女性の家庭外就労の増大
があげられると思う。これら3要因を可能にしたさらに大きな原因といえば、産業化の進展であり戦後の高度経済成長ということになる。
 もう少し詳しく見てみよう。1891年から1936年まで日本の男女の平均寿命は一貫して40歳台であったが、それが男女ともに70歳台を上回るのは1975年からである。また教育についてみても、高校進学率が男女ともに9割を越えるのが1975年以降である。有配偶女性が働く女性の2人に一人となったのも同時期である。こうしてみると、1970年代中頃がいかに前述の3要因にとって共通の重要な時期となっているかがよくわかる。

図:1 諸外国の合計特殊出生率


3. 戦後の二つの少子化

 『平成10年版厚生白書』は「少子社会を考える−子どもを産み育てることに“夢”を持てる社会を」という副題のもとに少子化を正面からとり上げている。白書は日本が戦後2回の少子化を経験していること、すなわち第1回目の少子化は有配偶出生率の低下であること(平均して2〜3人の子どもへの収斂)。そして第2回目の少子化が晩婚化の進行によるものであるとまとめている1)
 第1回目の少子化は多産多死から少産少死への人口構造の転換を背景として、産業構造が急激に変化する中で、たくさんの子どもを持つことが経済合理性を持たなくなったこと、いいかえるなら男性はサラリーマン化、女性は専業主婦化し、そのような性別役割分業の中で、2人から3人の子どもを産み育てることが家族なのだというイメージが社会規範になっていったために起こったと説明する。このようにして最初の少子化は1950年代から1970年代半ばまで2〜3人の子ども数への収斂という形で現れた。
 第2回目の少子化は、晩婚化、すなわち未婚率の上昇によって引き起こされた。平均すると日本の人口を維持するのに必要な水準を大幅に下回ることから、対策を必要とする緊急課題となったのである。25〜29歳の女性たちの未婚率が急激に上昇に転じるのは1975年以降であり、同じ現象は30〜34歳代の男性についても起こった。
 では、第2回目の少子化はなぜ起こったのだろうか。手みじかにまとめると、かつて若い女性にとってあこがれだった家族が、それほど魅力ではなくなったということである。結婚にしろ、出産にしろ、仕事キャリアを形成しようと考える女性にとって、興味はあってもまず仕事で一定の地位を築くことが重要であり、場合によっては、そのために自分の親との同居の方がはるかに快適ということもあるだろう。コンビニをはじめとする社会装置は、シングルで暮らすことを不便に感じさせない。結婚は自由な生活を拘束するものでさえある。こうして結婚をするかしないか、いつ結婚するのか、子どもを産むか産まないか、いつ産むのかといったことは、〈ねばならない〉から〈してもよい・しなくてもよい〉へと、ますます個人の選択にゆだねられることになった。より自由になったのである。

4. 選択できるという自由の罠

 この世代の立場から、1960年生まれの浅野素女は、自分たちの世代を「ヒロノミヤ世代」と呼んで次のように説明する。
 「(1960年代生まれの)私たち男女が平等であることを当然と思って育ってきた。仕事に就き、経済的な自立も果たした。結婚に関係なくパートナーを持つことに、なんの抵抗も感じなかった。つまり、あらゆる意味での自由を一応手に入れた。(中略)親は自由を許してくれた。あなたが幸せならそれでいいと言ってくれた。結婚なんて、まあしなくてもいいのかもしれない、とも言われてきた。二十代はそれで夢中で過ぎた。だが、三十代になると、微かな不安が胸を締めつけ始める。この自由の海原が、いつか孤独の荒野に変貌するときが来るのではないか……。パートナーがいる・いないにかかわらず、そんな予感がときどき胸を締めつけ始める。男性の場合は、もう少し遅く、35〜40歳くらいかもしれない。(中略)
 女性の場合、40歳まで、あと何年、とカウントダウンが始まる。私の選んだ道は間違っていたのだろうか。何かとるべきほかの道があったのだろうか。選択ができるという、自由の罠に嵌(は)まった最初の世代。『ヒロノミヤ世代』はそうした迷いの渦中にある。時間は限られている。問いは切実である」2)
 少子化、晩婚化、晩産化といっても当事者の立場からみると、自由を手にしたがゆえの悩みや苦しみがあり、仕事や自分の夢の達成のために費やす時間やタイミングと結婚や出産との折り合いをどうつけるかが難しい課題になっている。

5. 高齢出産をする女性が語る子どもを「授かる」経験


表:2 1951〜97までの年齢別に見た晩産化の推移


 次に、仕事との折り合いをつけ、あるいは望んで結婚をし高齢出産することになった女性たちの声を聞いてみたい。次に紹介するのは出産・育児にかかわる情報の交換の場としてインターネットで公開されているbaby.comが昨年10月から特集を組み、呼びかけたアンケートに対し寄せられた38名の回答結果である3)
 35歳以上で初めて出産することを高齢出産と定義するなら、表2に見る通り、その数は1980年代あたりから急激に増えている。40歳代は漸増だが、30代後半は今後もさらに増えることが予想される。とはいえ、全出産数から言えば35歳以上の女性が第1子を産む割合は1997年現在で5.13%であり、決して多くはない。この意味でbaby.comにアクセスした女性という母集団の制約はあるとしても、これらのアンケート結果をみることは大変意味がある。
 アンケートには38名の回答が寄せられ、このうち出産を経験している女性が34名であり、ほかは妊娠中もしくは流産を経験している。回答者の出産経験年齢は33歳〜41歳までであり、第2子が高齢出産であるとして、アンケートに回答している女性も何名か含まれている。総合病院で出産した女性が19名、個人病院で出産した女性15名、助産院希望者は1名いたが出産直前に総合病院に変わっている。出産した34名の女性のうち、自然分娩23名、帝王切開6名、吸引分娩5名である。また、高齢で妊娠・出産することは意図的な選択によるものか、結果としてそうなったのかを書き込みから拾ってみると、選択によるもの9名、結果として高齢妊娠・出産になったものが29名となっている。約76%は結婚が遅かったり、子どもに恵まれなかったことがその理由であり、予想されるほど選択された高齢出産はそれほど多くない。
 高齢出産を選択した9名の中には、自分のキャリア形成をその理由にあげるものが多く、仕事での実績を積むことをまず優先させた結果として、高齢出産を選択するに至っている。意図的に高齢出産を選択した女性のほうが高齢出産がよかったと評価する割合が多いことは十分予想されるが(9名中8名)、結果として高齢になったと女性もまた、29名中21名は高齢出産がよかったと回答している(ただし、この中には「出産できてよかった」とか「出産はいいものだ」といったものも数名は含まれている)。
 さらにこの「よかった」理由をみていくと、「キャリアが必要だった」「いろいろなことを経験してきているので、悔いを感じることなく子育てに気持ちを向けられる」「(さまざまな経験をしているので)育児だけの日常に、ストレスも感じることなくいられる」「仕事である程度実績を上げた後の出産で、退職後も在宅で仕事ができているので良かったのかな」「友人や姉妹の子育てを見ていてある程度の知識をもって出産できた」「金銭的にも精神的にも落ち着いていた」というメリットがあげられている。
 当然のことながら、体力的なハンディキャップは大きく、二人目を産むならやはり早めに産むことがいいといった回答や「医学的リスク」の心配も出産まであったことをあげる女性は多い。それにもかかわらず、3/4近くの女性がさまざまな高齢出産であるがゆえのメリットをあげ、待ち望んだ子どもが生まれてくれたことに対する素朴な感謝や、かけがえのない命への思い、喜びを、「授かった」と素直に喜びで表現している。

図:2 1951〜97までの晩産化の推移

図:3 35歳以上の母親が第1子出生数全体に占める割合


6. 高齢出産をする女性たちが伝えるメッセージ



 生理学的に、あるいは医学的に考えれば、リスクをなるべく減らし、妊娠・出産による消耗や負担から少しでも早く回復できる方法を選ぶだろうし、出産年齢も40代よりは30代、30代よりは20代ということになるだろう。しかし、誤解を恐れずに言うなら、30代後半あるいは40代になって待ち望んだ得難い命を手にする経験は、従来の標準的なライフコースの中で出産する人々よりはるかに、子どもへの強い愛情と深い関心があるように思われる。助産院を希望しながら急遽総合病院で帝王切開で出産することになったある女性は、これから産む女性に向けたメッセージの中で、「親と選ばれた幸福を楽しむ潔さを覚悟」できることと記している。
 少子化は一般的に社会問題として論じられる。厚生省の少子化対策もまた、仕事をしながら育児をする女性支援が前提になっており、つまりは、なるべく若いうちに結婚して子どもを二人以上は産んでほしいというのが本音だろう。一方、仕事も家庭も、そして「少しは自分の人生」をと考える女性たちにとって、結婚や出産のタイミング、出産することもの数を決定することは決して後戻りのできない切実な問題である。だからこそ、自由に塑型できていた自分の人生に、再び自分の意志だけではコントロールできない新しい命を持とうとする選択は、女性たちにとって新たなチャレンジなのである。高齢出産はそのための適応戦略(ストラテジー)と言えるだろう。
 その限りでファミリーフレンドリー企業への支援など、仕事と子育ての両立のための雇用環境整備は、こうした女性たちのストラテジーにとって機能的には違いない。他方、高齢出産は出産可能期間の短縮を意味する。一人産むことはできても、二人あるいは三人産もうとする要求は満たされない可能性も高い。そのことには多くのアンケート回答者が言及している。
 仕事も家族も自分の人生もと、ある意味ではたいへん欲張りになった女性にとって、高齢出産はその意味で一つの突破口である。今日、女性たちのライフコースの多様化は不可逆的な流れである。高齢出産も同様である。自分の人生の選択の過程で経験した高齢出産を経たからこそ語れる子供の尊さ、有り難さ。そうした女性たちの存在と語りが、行政の少子化対策よりも、もっと根本的な示唆を次世代の女性たちに与えてくれると思う。



資料〈引用・参考文献〉

1) 厚生省『厚生白書(平成10年版)少子社会を考える−子どもを産み育てることに「夢」をもてる社会を−』ぎょうせい、1998年
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2) 浅野素女『フランス家族事情』岩波書店、1995年、pp.iii〜iv
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3) baby.com出産アンケートについては以下のURLを参照のこと。
http://www.babycom.gr.jp/pre/sp1/an/index.html
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4)厚生省児童家庭局母子保健課『平成11年度母子保健の主なる統計』母子保健事業団発行、2000年

5)河野稠果・岡田 實編『低出生力をめぐる諸問題』大明堂、1992年。

6)E・ベックゲルンスハイム:香川 檀訳『出生率はなぜ下がったか−ドイツの場合−』勁草書房、1992年。

7)落合恵美子『21世紀家族へ(新版)』有斐閣、1997年。


※なお、脱稿後、手にした家計経済研究所『季刊 家計経済研究』第47号、2000年には本稿に関連する特集が組まれている。




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