大出春江Harue OHDE
Culture of Childbirth 8 - Women's Images of Birth and Interaction with Medical Staff in Hospital
- はじめに
- 分析対象と方法
- 考察
- (1) 出産の場への参加者と妊産婦のかかわり
- (2) 出産イメージと出産経験の意味づけ
- (3) 〈学校としての病院〉
- (4) 収集された身体情報のゆくえ
- おわりに
妊娠・出産は近年、さまざまな関心を集めてきている。社会学においては、医療社会学や家族社会学といった従来の枠組みからではなく、むしろ社会史や女性論への関心と連動して起こってきている。こうした傾向は文化人類学においても同様にみられる。
また、日本ではもともと民俗学において産育に関する戦前からの研究蓄積があったが、これらの主要な関心は宗教儀礼の側面から産育習俗や産小屋の機能、産婆の役割に向けられることが多かった。その結果として民俗資料は地域やイエを単位とするものを中心とし、女性の個別の経験として扱うことはごく近年までほとんどなかったといっていい1)。
以上のような民俗学、文化人類学や社会学での学問的状況とは別に、妊娠・出産そして育児をめぐる社会的関心の高まりが一般的な社会状況として登場してきたことも指摘できる。1960年代から登場していた育児誌に加え、妊娠誌が独立して相次いで創刊されたのは1985年以降である。出産・育児関連の書籍も同様な傾向が見られる2)。また出産の専門家ではない女性たちが情報交換のために、あるいは出産状況の改善という明確な目的のために全国各地でネットワーク形成を行うようになった時期とも軌を一にしている。
これらの現象は、家族の単位が小さくなったことと地域関係の希薄化にともない、女性が妊娠・出産を経験的なレベルで情報交換できる場を失ってしまったことが背景となっていると一般的にはいわれている3)。
しかし、こうした傾向は単に特定の情報が不足しているという直接的要因だけではなく、もう少し広い意味での別の要因があるようだ。それは人々の関心が、科学や技術と環境そして人間とのかかわりをめぐり、人間の外的環境だけでなく、内的環境としての身体にも向けられるようになったことだと考えられる。
出産は多くの女性が経験するできごとであり、その後に続く更年期障害など身体の経験はこうした「かかわり」に否応なく向かい合う機会となる。富士見産婦人科病院の理事長の無資格診療によって女性の子宮が摘出された事件の報道は、女性が自分の身体を守ることへの意識を高める社会的契機をつくったともいえるし、「陣痛促進剤による被害を考える会」の発足とその後の医療裁判の報道は、病院出産の現状に対する疑問を社会に広げていく動因となったことも事実である。
わたし自身の出産への関心もここで述べた社会的変化を背景としながら、学問的関心と個人的体験との交差から生まれてきた。問題関心の流れを振り返っておくと、まず最初に助産院とそこで長年にわたり出産と関わってきた助産婦との出会いがきっかけとなり、日本における医療の近代化が出産という場ではどういう形で起こったのか、なぜ助産婦は戦後急速に<見えない存在>へと変わっていったのか、という関心から、彼女のライフヒストリーをまとめながら、ある女性が産婆(助産婦)になっていく過程と開業助産婦の眼を通して戦前から戦後の出産の地域における変化をみた(「産む文化1〜2」)。また助産院の日誌の分析も併せて行い、助産院の日常を通じ開業助産婦の仕事の内容を、他の医院や助産婦との分業、院内の分業、産婦役割を中心に分析を試みた(「産む文化3〜4」)。また日本の戦後の医療制度に大きな影響を与えたGHQの医療・看護の制度改革の背景にあった助産婦観を知るためにアメリカにおける出産の社会史について概観した(「産む文化5」)。
その後、「産む文化6〜7」において、現代の女性たちが自分の出産経験をどのようにみているか、産む側から病院出産の現状がどのようにとらえられ、またそれにどう適応または反発しているか、という視点から「ぐるーぷ・きりん」(自然なお産を考える会として茨城県の主婦により1993年結成された自主グループ)によるアンケート回答者493名の自由回答欄に書かれたコメントを分析した。
本論は産む側からみた現代の出産に関する考察として三番目に位置づけられる。ただし、分析とその提示の仕方はこれまでのものと若干異なっている。簡単にいえば、これまでの「コメント集」の分析は質的に分析することを最終目的としつつ、コメントの量的分布も同時にみておくという手法をとっているが、今回は量的分布についてはほとんど言及せず、はじめから質的分析に限っている。その第一の理由は、すでに前稿4)でも述べたが、そもそも自発的な回答を内容的に分類してその量的分布を見ても、それ自体はあまり意味をもたないことである。しかしそれ以上に積極的な理由としては、記入式であるとはいえ調査枠組みに拘束されないからこそ、産む女性自身が自分の出産経験をどのような言葉で表現し語っているか、そのことをこそ分析の中心にすえるべきだと考えるからである5)。
2. 分析対象と方法
質的分析といってもその手法はさまざまであるが6)、わたしがここで行っているのは、「コメント集」をテキスト・データとして扱うこと、すなわち「ぐるーぷ・きりん」のアンケート調査の実施時の意図とは切り離し、病院を中心とする出産の現状を明らかにする目的で読み直すということである。具体的にいうと、記述された回答を(1)コメント全体が意味していること(つまり書き手が伝えたいこと)を読み取る(2)書き手が一つのコメントに複数の内容を書いている場合、コメントをいくつかの項目に分けて書き手の意図にしたがって読み取る(3)コメントを書き手の意図(伝えたいこと)とは切り離し、分析者の視点で分析を展開させるための素材の一つとして扱う、の3つの仕方で扱う。分析の際には(1)(2)(3)を別々に使うことも(1)と(3)、(2)と(3)で併用して使うこともある。
この分析手法が参考にしているのは「データ対話型理論」産出法あるいはグラウンディド・セオリー法(Grounded Theory Method)と呼ばれている質的分析法の一つである7)。分析のプロセスをここにすべて提示することはできないので、分析例の一部を示し、具体的に(1)〜(3)がどのように行われているか示すことにしよう。
分析例1
コメント
看護婦さんが二人いて交互にいてくれたがまだ陣痛の軽い頃はひとりで呼吸法(ラマーズ法)をしていた。女の先生が取り上げてくれたのですが、母親学級でいろいろ話を聞いたり質問をしたりして、出産前からこの先生なら安心と思えたので、全面的に信頼してゆったりお産ができたと思う。出産後も看護婦さんがとても親切にお世話をしてくれて(おっぱいの張ったときは天使に見えた)入院中は子供を産めた嬉しさで満足していた。相性が合う人たちの中で産めたことは安心感が出て幸せだったと思う。
分析
- 担当医は同性
- 母親学級以来の担当医として継続的なかかわり
- 自由な質問→双方向的コミュニケーション
- 上記1,2,3を条件とした信頼関係の形成→順調なお産
このコメントは全体として一つのまとまりをもった意味を形成している。それは出産者と医療者(助産者)とが継続した信頼関係をつくることで、産む側の出産における安心の条件を形成しているということだ。そして安心しリラックスしたお産ができたことが、産んだ女性の深い満足感になっている。
分析例2
コメント
スタッフの白衣や診察室のカーテンをピンクにしたりして多少配慮は見られるが、所詮機械的なもののカモフラージュにしか見えない。(一人で病室でいることになったのは)薬が効き出して急にお産になり、昼食時と重なったため交代などで手間取っていた。(出産時の精神的な痛手は)波のような痛みがきて話すと、「まだ一度だけでしょ?」とそっけなくグラフをのぞき込んだ。
分析
- 妊産婦をリラックスさせる装置としてのピンクのカーテン→救急性と異常性に対処する病院。日常では「出産は病気ではない」擬装
- 職場としての病院スケジュールと出産する身体のスケジュールの交差
- 痛みの二つの測定装置
産む女性−身体;介助者−分娩監視装置<感じる痛み>と<読む痛み>二つの測定結果の一致した場合とズレた場合。ズレた場合、両者の対応はどのようなタイプがあるか?
分析例2のコメントは全体としては二つのことがらに言及しており、一つは妊産婦をリラックスさせる環境としての病院の工夫について。もう一つは病院の時間帯により出産時の介助が手薄になってしまったこと、痛みの訴えに対する介助者の共感的ではない応答から、満足のいく出産ではなかったことが示唆されている。これらは必ずしも一つのまとまった意味に統一する必要もなく、出されている意図に即して、あるいはその意図とは離れた分析者の視点から別々に切り分けてカテゴリー化しておくことで、生起している現象を違った角度から読み込んでいくことが可能になる。
分析例3
コメント
初めての時はギャラリーができて恥ずかしかった
分析
- 妊娠・出産時の産む側の感情(不安緊張、羞恥、孤独、喜び、悲しみ などはどのように緩和、保護、あるいは共感されるか。そのための病院の装置や工夫は?(参加者数の制限、観る場所の制限産婦への声がけ、隠蔽物としてのカーテン、布など。他には?)
- 出産回数の増加は羞恥心や緊張感の減少に貢献するか?
- 病院内ではどんな場合にギャラリーが登場するか?その構成員は?ギャラリーとは誰をさすのか?ギャラリーとしての参加許可は必要か?必要だとすると許可するのは誰か?妊産婦は拒否権をもつか?
分析例3のコメント自体は1行程度だが、ギャラリーという言葉に注目してみた。病院内で外科手術にも使われる言葉であって、しかも一般的には劇場とかゴルフの際に頻繁に使われることから、ゴルフのギャラリーとの比較をしてみたところ、たくさんの質問が次々に浮上してきた。それによって医療者−患者という脈絡からいったん離れて、観客−演技者/競技者という脈絡と比較することで「観る」「観られる」関係の側面が浮き彫りにされていく。ギャラリーのマナーの存在や参加許可について比較することで、手術や分娩時の患者あるいは妊産婦の社会的位置を考察し、「観る人」「観られる人」の関係を分析する可能性が開かれる。
以上の分析例から、本論を構成するカテゴリーがどのようなプロセスを経て産み出されていったか理解していただけたと思う。今回はコメント集のうち「妊産婦のこころ」に書かれたコメント(最小13字最大393字、総数205)全体を分析の対象とした。理論的には詳細なコーディングをするほど、概念やカテゴリーはほとんど無数といっていいほど出現することになるわけだが、グラウンディド・セオリーの考えにしたがえば、コメント全体をコーディングすることと一部をすることの本質的な違いはないのであって、どこからはじめてもよいし、途中でやめても構わない。大事なことは対象の特性をつかまえてくるためにどれだけ理論的に説明力をもった柱が用意できるか、ということにかかってくる。
今回、分量が多くなかったという単純な理由でコメント全体を対象としたが、何度も同じ概念もしくはカテゴリーを書き出すことになった。はじめのコーディングは、病院を主に舞台として展開される妊娠・出産の過程を参加者の作業(work)として分割してみていくことからはじめた。すなわち、妊産婦のしている作業、夫や母親など親族の作業、助産婦の作業、看護婦の作業、医師の作業、という具合に参加者毎に作業毎に小さな単位として書き出していった8)。
さらに、直接もしくは間接に出産者の経験とその背景を理解するのに用いている他の二つの情報がある。その一つは、1995年12月から1996年3月にかけて行われた東京および近郊の2つの公立病院での助産婦を対象とした聞き取りとそこでの病院観察である9)。もう一つは、かつて妊産婦だったわたし自身の病院観察と助産院観察および出産という個人的経験である。なお、産む側の作業が少なく助産者の作業の種類が量的に多いのは、今回用いたテキスト・データの性格によるものであり、また助産者、医療者側からの情報は部分的な形でしか組み込んでいないために、作業としてすべて網羅しているものではないことをあらかじめお断りしておく10)。
以下分析の過程から得られたカテゴリーとそれに基づく考察を(1)出産の場への参加者と妊産婦のかかわり (2)産む女性にとっての出産イメージと出産経験の意味づけ (3)<学校としての病院>(4)収集された身体情報のゆくえ、という構成で提示していくことにする。
3. 考察
(1)出産の場への参加者と妊産婦のかかわり
前述の方法によるコーディングの過程で浮上してきた参加者の作業を、妊産婦と助産者に限って書き出してみた。ここではそのリスト作成が目的ではなく、出産が個々の作業の集積によって成り立ち、それをめぐって妊産婦と助産者・医療者がどのような関係にあるかを考察する素材として用いる。したがって、出産の場で実際に行われる助産もしくは医療処置(分娩監視装置の装着、点滴、浣腸、剃毛、会陰保護、会陰切開・縫合、沐浴など)については全く含めていない。ここではテキスト・データに即した作業の列挙に限っていることをお断りしておく。
妊産婦の作業として本稿の分析に用いたのは以下の通りである。
- 学習作業(学習カリキュラム:呼吸法、健康管理、お産の仕組み、新生児の扱い方など)
- 学習成果の実践(乳房マッサージ、体重管理、適度な運動と食事の摂取など)
- 不安に耐えること
- 痛みを我慢すること
- 出産の軌跡を予想すること
- 出産が開始したことを判断すること
- 医療者・助産者に出産開始の情報提供をすること
- 身体的、精神的、個人的情報を必要に応じ医療者・助産者に提供すること
- 助産者・医療者を呼ぶ作業
- 放出作業(胎児・胎盤の娩出、母乳を出す、適切な時間での排便・排尿)
またコーディングの過程で浮上してきた作業のうち、助産者の作業として本稿の分析に用いたのは以下の通りである。
- 産婦の情報に基づき入院時を決定する作業
- 出産の軌跡を予想すること
- 産婦の気をまぎらわす作業
- 産婦を一人にさせないこと
- 産婦の痛みを緩和する作業(腰をさすること、枕の提供など)
- 病室の産婦の様子見作業
- 産婦の体力維持促進作業(氷水の補給、おにぎりなど食べやすい形の食物補給など)
- 産婦の身体清拭作業
- 産婦への声かけ作業
- 産婦を励ますこと(とくに娩出時)
- 出産の進行情報を伝達する作業(妊産婦、医師)
- 医師を呼ぶ作業
これ以外に、親族の作業としては、助産者が行う〈産婦の痛みを緩和する作業〉>とか〈産婦を一人にさせないこと〉が、親族とりわけ妊産婦の夫や母親によって行われる。
たとえば、〈産婦の気をまぎらわす作業〉のコメントは次のようなものだ。
- (陣痛の間は)特に人手を必要としない状態だった。陣痛が弱いので不安だったくらいで、本やテレビをみて気楽に過ごした。
- 話をして気をまぎらわしてほしい。
陣痛の強弱によって、妊産婦の不安も変化するが、こうした不安の解消あるいは減少のために、本やラジオ、テレビ、音楽といった道具が使われ、親しい人や助産者にそばにいて話をしてもらうことは(人にもよるが)それと同じ機能をもつ。
〈気をまぎらわす〉ということは出産の進行にともなう不安や緊張を解きほぐすことであるから、その意味では、次の〈産婦を一人にさせない〉〈病室の産婦の様子見作業〉や〈産婦の痛みの緩和作業〉〈声かけ作業〉〈励まし作業〉さらには〈出産の進行情報伝達作業〉や〈産婦の体力維持促進作業〉といったことも、こうした緊張を解きほぐすことになんらかの形で貢献する。親族がそばにいることや、手を握ること、汗をふくこともまたこうした作業の一環になる。
つまりこれらの小さな作業の遂行は〈産婦の緊張を解きほぐす仕事〉(relaxing work)の具体的内容を示すという意味で下位に位置づけられる(呼吸法の実践もそのための産婦自身による作業である)。
また、これらの作業群は産婦の緊張を解きほぐすという目的を達成するためにだけ機能するものではない。不安や時には恐怖心をもっている女性に対する情緒的サポートを伝達する媒介としても機能する。この意味で産婦の緊張を解きほぐす仕事(relaxing work)とは別のカテゴリーとして位置づけられるべき情緒的仕事(emotional work)に助産者は大きくかかわっている、といえる。したがって逆に言えば、先に列挙した個々の仕事がすべて助産の場で行われることが期待されているのではなく、最終的に妊産婦の出産経験の有無や質、学習達成の程度、不安や痛みの感じ方や耐性、それらと相互作用の関係にある出産の軌跡など、これらによって産む女性の期待も変化し、そこで必要とされる平静さを維持するために対応した仕事が期待されるということである。
産婦が長い陣痛期間を過ごす上で、助産者が様子を見にきてくれることや声をかけてくれることへの期待は大きく(必ずしも具体的な作業を期待しているわけではない)、コメントに何度も登場する。
- 夜9時入院して朝9時の診察までの間、誰にも声をかけてもらえず、ひとり部屋のなかで陣痛を測ったりしていました。
- 病院の出産では、機械的で特に助言や励ましもなかった。陣痛は子供が産まれてくるために必要なものと思いながらも、出産時に回りで支えてくれる人がいるかいないかで、出産に臨む心のもちようが全然違った。一人目の時は不安の中で出産。
- 看護婦さんがいつもいてくれた。夜入院したが、母のとなりに私、私の隣に夫が寝てくれて、安心して産めると思った。
- 深夜だったので何かあったらと言われて〔結局〕ずーっと一人だった。
もっとも物理的にただそばにいる、というだけで女性の期待がみたされるわけではない。
- 赤ちゃんが産まれたとき、スタッフが機械的に処置をしていて、感動の表情や言葉が全くなかった。出産時にスタッフはもう少し言葉だけでも、“おめでとう、女の子よ”とか最低でもそのくらいの言葉はかけてほしかった。私自身はとても感動していたので残念な感じがしたし、自分の頭のなかにあったものとは違っていた。
- 子どもが自分の力で出ることができずにいたのにもかかわらず、どんなに痛くても医者を呼んでくれず、「こんなに手伝っているのにまだなの」という言葉が返ってきた。
- (精神的な痛手)陣痛で苦しんでいるときに看護婦さんが無駄話をして笑っていた。
- 「検温にいかなきゃ。」「食事だわ。」「これじゃオレ戻れないな。」……産まれる30分前のスタッフの会話です。悲しかったです。
物理的にそこに居合わせているだけでなく、どのように関与するのかということが重要になる。出産という場を構成する関与配分規則に照らしてみれば、支配的関与は出産の進行に注意を払うということであっても、いよいよいきみが始まるまでは産婦を除く参加者にとってさまざまなスケジュール(個人のスケジュールや出産以外の他の院内スケジュール)への配慮も同時に進行する。産婦にとっては切れ目のない身体の進行スケジュールにしたがった関与を支配的であるとしつつも、助産者や医療者はその間に気ばらしの雑談をしたり、自分の食事のことを考えたりする。他の出産や他の入院・外来の患者数の多寡、あるいは他の諸活動や個人としての私的領域の関心事がこれに影響を与える。これらの従属的関与があたかも参加者の主要関与であるかのように見えるとき、産む女性にとっては支配的関与の質が疑わしいものになってくる11)。
産む女性にとって出産は人生のなかでもとりわけ重要なできごとであり、しかも身体的にも精神的にもそれを乗り切ることに全面的な関与がなされる。その時出産の場への他の参加者の関わりは大きな関心事となる。ところが、医療者や助産者にとって出産は彼(女)らの日常の仕事場に生起する一つのできごとである。両者がもつ出産の意味の違いを背景に、出産の場における些細に見えるやりとりが、産む女性にとっては予想外に傷つける言葉として記憶される12)。
- (精神的な痛手)「夜中なんだからあまり騒がないように。」(と言われた。)
- 一番(陣痛が)激しかったときには放っておかれた。(スタッフに)支えられていない。剃毛を看護婦がし忘れていて、薄いからもうしてあるのかと思ってと笑われた。
- 第二子の時、気持ちが悪くなって吐きそうになった時、どうせ吐けないから、あらっ本当に吐けたわとあわてて膿盆をもって来た。言葉で痛手を受けた。
- いきみと同時に出てしまったようで、医者に「あーあ、きたない」と言われた。痛みでおなかをさすったら「消毒したんだからさわっちゃダメだ!」と叱られた。自分のおなかなのに!
逆に、出産という試練を乗り切る際に支えられ、力を合わせて産み出す、文字通り協力者として参加者を認識しえた時に、産む女性にとって出産は他者の新たな発見の場を提供する契機になる。
- 普段はどちらかと言えば冷たい感じの先生でしたが、いざ出産の時は「はい、がんばれ!」と心から大きな声で励ましてくれ、痛みをがんばってこらえることができ、産んだ後も優しい言葉をかけてくれたりして、意外だったので余計嬉しかったです。
- (出産は)感動的でした。お友達の心遣い、夫の優しさなど強く感じました。
- 新しい生命の誕生に関わったことで感動した。
- 無事にうまれてほしい、その事だけしか頭になかったから、涙が止まらないくらい感動し初めて心から親に感謝した。また関係者すべてにも感謝の気持ちでいっぱいになり、何度もお礼を言ったのを覚えている。だから処置の仕方に文句を言ったりしたら手伝って下さった方に対して失礼だと思うくらい。
そして出産は他者との出会いだけでなく、自分がそれまで気づかなかった自己との出会いの契機にもなる。
- 子どもを持つことについてあまりにも自分が気楽に考えていたことにショックを受けました。逆に言うと、私自身が死ぬまで、子どもとのエンが切れないと言うか、ずーっとつながり続けていくという事の重大さに気づかない自分に驚いたのでした。
- 神経質な人間だと改めて思った。
- 出産した後、気分が高揚して眠れず、2〜3時間起きていたが、自分が産まれてから現在に至るまでのことが、走馬灯のように思い出され、生命の輪廻転生を感じ、とても深く感動した。悟りのような感じだと思う。
- 分娩台で出産までの間、一人でいる時間が不安で「人間生まれる時も死ぬときも一人」という事を耳にしていたが、本当なんだナと思った。
身体からの情報や助産者からの情報を収集し、出産の軌跡を描く。そうした軌跡に基づいて自分の痛みがあとどのくらい継続するのか、子どもが産まれるのは何時間後かを予想する。病院の助産者は、入院室から待機室に移動させ、様子を見ながら声をかけたり、腰をさすり、また体力が維持できるように摂取しやすい形の食物や飲み物を提供する。こうした一つ一つの作業が、産む側にとっては痛みに耐え、いつ痛みから解放されるかという不安に耐えるための情緒的な支えになる。
出産の進行状況を客観的に判断する装置として助産者にとっては分娩監視装置が不可欠になっている。この装置を妊産婦の腹部に装着し、陣痛の間隔と強度、そして胎児の心拍数が継続して測定される。一人の助産者が継続して測定することができなくても機械は測定し続ける。つまり病院にとっては客観的で継続した情報の収集という意味で不可欠なのである。
もっとも産む側にとっては自由な体位の制限とか、必ずしも身体内情報と常に一致するわけではない点から、痛みに耐え、不安を乗り越える力にはなりえない。あくまでも医療者や助産者にとっての重要な情報収集源である。むしろ痛みと不安に耐える妊産婦にとって情緒的にサポートされることが大きな力になる。
- 陣痛がひどくなって「痛い」と叫んだら「痛かったらもっと叫んでいいよ。痛いね、痛いね。」と助産婦さんが言って下さったのでほっとしました。
もちろん産む側が出産をどのように考えているかによって、助産者に受容的な態度を期待するか、あるいはある程度厳しさを期待するか、異なってくる。しかしすでに述べたように、出産という身体に起こるできごととそれに伴う痛みや不安を乗り越える女性にとって、出産の場に参加する人々のしぐさや言葉は、行為者が予想する以上に影響力をもっている。そして助産者や医療者(親族が参加者に含まれる場合もある)との共同作業として痛みを乗り越え娩出作業が行われ、その作業が新しい成員として子どもを迎えるためのプロセスとして認められた時、子どもを受容する深い満足感につながる。
(2)出産イメージと出産経験の意味づけ
出産という場への参加者をどうみるか、評価するかは、実際に助産者や医療者がどんな対応や言動をとるかということと、産む側自身の出産をめぐる期待と相互に関わり合うことを前節でみてきた。
では出産というできごとは産む人によってどのように経験され、意味づけられるのだろうか。前節とは重なるところが大きいテーマであるが、ここでは産む女性の出産そのものの経験と彼女らにとっての意味を浮かび上がらせてみたい。
分析の過程で現れてきた出産イメージは次のようなものだ。代表的なコメントとをあわせて示しておく。
〈出産は苦しみ〉
- 早く産んで楽になりたいという気持ちが強かった。出産してすぐには子どもに対して無関心。可愛いとか嬉しいとかいう気持ちがわいてこない。ただ、自分の体が苦痛や疲労から開放された事だけが心に残るだけ。
- 妊娠中の状態が良くなかったため(いつも気分が悪い)出産して気分が良くなり、ホッとして安心感がいっぱい、幸せいっぱいという感じ。
- 母親の出産の体験を聞くと、病院で同じように助産婦さんがつき出産したにもかかわらず、会陰切開もなく、促進剤も使わずにすんだという昔の方が自然だったのかと思ってしまう。出産し、娘に会えた喜びは大きいが、もう一度あの思いを繰り返すのかと思うと、躊躇してしまう。
〈出産は他者との出会いの場〉
- (帝王切開で)麻酔がきれてからの痛みにひたすら耐えていたという感じ。看護婦さんの暖かい励ましでとても助かった。早く子どもの顔が見たかった。(私の場合、看護婦さん助産婦さんたちの「つくす」姿に目が開かれる思いがし、とてもこれから生きていく上での励ましになったと思う。)
〈出産は自己との出会いの場〉
具体的なコメントは前節で引用したものを参照。
〈出産は自己試練の場〉
- (陣痛の間ひとりでおかれて)しかし、これから母になるという責任感を感じました。「ひとりでやらなくてはいけない、産むのは自分だ」と教えられたような気がしました。
- 私はいわゆる“模範的な”産婦だったと思う。苦痛も訴えずよく我慢したので助産婦さんからほめられた(?)。不安というより適度な緊張感があって、さあ、やるぞという気持ちで出産に臨んだ。出産後子供を見せてもらった時も、手に触りながら話しかけたりして、感激があった。私にとってはとてもよい体験、充実した体験として残っている。
- 1カ月前に義姉がその病院で出産しており、二人目にもかかわらず大変だったので、(ライバル心だと思うが)自分は痛くても大騒ぎせず立派に産んでみせようと前から思っていて、実際その通りになった。少し得意げな気持ちだった。
〈出産は周囲の人との共同作業〉
- (助産院での)二人目は家族(夫、長女)、姉 に見守られ、信頼する先生(助産婦)に助けてもらいながら出産、喜びがとても大きく充実感があった。
- 長女と次女、診てくれた先生や看護婦さんによって、お産のイメージがすごく変わりました。次女の時は、この人たちとならもう一人欲しいと思えましたし、充実感がありました。
〈出産は単独作業〉
- 出産しているときは夢中であり、誰がそばにいても苦しいのは自分自身なので、産んでからゆっくりそばに誰か付いていればいいと思いますが……。
- 産院について、感じよくよい雰囲気の中で出産できましたが、「産ませてあげる」という先生の考えは旧態然としている所だと思った。家族が来るにもその後の生活にも、そこの病院が都合が良いので、意志に反する点もあったが選びました。結果として、楽に出産できた点、融通がきく点はよかったと思います。どこで出産しても自分の気の持ちようが一番大切だと思います。
〈出産は胎児との合力作業〉
- 自分と子供と力を合わせた出産をすませ、すごくわが子という存在を強く感じ母としての素晴らしさを感じました。
- 第一子の時は無痛分娩ということで麻酔を使ったので、産後はひどいもので子供を抱くという意欲がなかった。無痛といっても痛くないわけでもなく、後がつらいので、第2子は自然分娩を希望し、ねむり産(1子、2子とも)であったが楽に出産ができ、産後も状態が良かった。自分から本当に生まれてきたのだという感触と感激があり、生んですぐにもずっと一緒にいたいと思えた。
出産とは受精卵がおよそ280日の間母体内で成長した後、体外に産み出されてくるプロセスだが、これだけ多様な、時には相互に正反対の意味づけが行われる。こうした産む側の出産イメージや事前に集められた情報、出産時の助産者や医療者との情報の交換、これらをもとにして想像される出産の軌跡(birth trajectory)に実際の出産の軌跡が合致したとき、深い自己達成感や満足感にみたされる。それらは必ずしも痛さ、苦しさだけにおびやかされた身体経験ではなく、自分自身のコントロール、あるいは産まれる子どもや助産者や医療者らとの共同作業の成果として、それらを克服しえた個人の一生に関わる自己実現の経験として刻み込まれることもある。逆に、予想された軌跡に現実の軌跡が合致せず、また共同作業としては失敗だと認識されると、出産の終了は身体的苦痛からの開放とか疲労感だけを感じる経験となる。さらに場合によって、その後の人生に負の経験として長期にわたり影響を残すこともある。
このように見てくると、出産とは身体上の経験だけでなく、個人の一生という時間軸上の経験として、また助産者や医療者、家族や親族あるいは友人、そして知らなかった自己との出会いという意味で社会的経験でもある。
こうして産む側がどのような出産イメージをもっているか、どのような出産に関する情報をもち、また夫や親族との関係をもっているか、どのような助産もしくは医療サービスを受けたかによって、出産が多様な意味をもった経験になることがわかる。
それではこうした多様性のなかに現代社会における出産の形を規定する要素は何も存在しないのだろうか。テキスト・データの内容からいったん離れ、産む女性が妊娠および出産を契機に病院および助産者や医療者をどのように記述しているか、という点から読み進めるうちに気づいたことは、病院と学校との類比性だった。この類比性について考察することは、病院出産という現代社会の99%を占める出産の形と産む女性の出産に対する意識を考える上で極めて示唆に富む。次節ではこの点を中心に述べていく。
(3)〈学校としての病院〉
病院を学校としてみるという視点が生まれたコメントを例示してみよう。
- 子供に母乳を上手に飲ませられなくて、いろいろな看護婦さんに指導され一人一人違うのでパニックになって偏頭痛が突然襲ってきたことを今でも忘れることはありません。(注:「看護婦さん」とあるのは助産婦のこと)
ここでは産婦が生徒で、助産婦は教師である。授乳は入院中に産後初期に行われる学習カリキュラムの一つである。授乳に関しては妊娠期から乳房管理指導がカリキュラムの一つに加えられている
- 母乳主義の産院で、母乳が出ず入院中はほとんど眠れず苦しかったが、個室だったので誰にも相談できず、助産婦さんには「妊娠中のマッサージを怠ったからだ」と言われて、「毎日かかさずマッサージしてました」と言って泣いてしまいました。特にスタッフが冷たい病院ではなかったが、個室という状況がよくなかったと思う。あまりにも隔絶されていて、ただ泣き続けるわが子と出ないおっぱいをかかえて目にクマをつくって途方にくれる7日間でした。
いたるところに指導する教師と、その指導・学習成果をほめられたり叱られたりする生徒がいることに気づく。女性たちは自分の出産経験に満足したとか、不満だったとか、すばらしい経験だとか、思い出すのも苦痛な経験だった、といった具合に出産経験をさまざまな言葉で綴っているが、これらのコメントを、〈学校としての病院〉という視点で読み直してみると、驚くほど学校教育の場で用いられる用語と類似していることがわかる。
「(授乳の仕方の)指導は主にビデオテープで行われ」「看護があまりにもそっけなかったため、呼吸のタイミングがつかめなかった」「看護婦に確認しながらいろいろ聞きながら」「いきみが下手だと言われた」「定期検診は不安解消には役立ちませんでしたが、病院の母親教室はとてもよかったです。そこでいろいろお産の仕組み、呼吸法を教えてもらいました。」「なかなか良い先生にあたらず、)質問もなかなかできなかった」「姉妹や友人からの知識が多く、不安や心配があまりなかったので」「わからないことを聞くときもゆっくり時間をとって教えてもらえたので、それもとても良かった」「(赤ん坊の扱いを)手取り足取り看護婦さんが教えてくれたらなあ……と思った。聞けないでいた自分が悪いのだが……。」「私はいわゆる“模範的な”産婦だったと思う。苦痛も訴えずよく我慢したので助産婦さんからほめられた」「看護婦さんにわからないことを聞くと、『そんなこともわかんないの』ときつい言葉で責められて不安感が募った」「『(いきみが)上手よ』とほめられると自信がつくし、落ち着く」「元気のいい子で良く動いているとか、映っている画面を指さして、ここが指で口の方にあるから指しゃぶりしてるのかなとか言って、いろいろ教えてくれとても実感が持てた。」(下線は学校での学習の場で使われる言葉と共通するものを示す。)
知識・情報の伝達と習得、その達成度を実践の場で評価するということが出産という特定の文脈で行われる。より具体的に言えば(1)出産とそれに続く育児を順調に進行させるという目的に直接役立つわけではないが、広い意味で出産全体に関わる知識や情報(お産の仕組みとか、胎児の様子など)、(2)出産とそれに続く育児を順調に進行させるという実践的な目的に向け、産む側のために組まれた学習カリキュラム(呼吸法、いきみ方、母乳の与え方、新生児の抱き方、沐浴の仕方、オムツの交換の仕方など)、これら二つの領域に関わる知識や情報の伝達と習得、および(3)出産時の産婦の評価、すなわち特定の出産イメージと産婦モデルへの適合もしくは逸脱という観点から助産者あるいは医療者たちが行なう評価、である。
これらはテキスト・データに現れた産む側の言葉から示されたものだが、だからといってこうした学校との類比性はサービスを受ける側からの言葉にだけ認められるものではない。
病院における助産婦を対象とした聞き取りにおいても、知識をもたない人(多くは初産婦)に対する、もっと勉強して欲しいという期待という形で、あるいはあまりに「不勉強な」産婦に対するあきれる態度とか、「出産の主役は産む人なのだという自覚をもってほしい」という期待となって現れてくる。
また知識をもたない場合や、もっていてもその内容が曖昧だったり少ない場合、知識を受け取る〈教えられる側〉は気後れして聞きにくいまま不安を抱えて過ごしてしまう、といった事態が起こる。こうした状況も学校教育の場で生起する事態と共通する側面である。
サービスの質をめぐる評価ということについてはどうだろうか。出産の医療化に対する近年の異議申し立てを消費者運動の一つとして位置づける見方がある13)。しかし、出産とそれを介助する人々との間で行われるサービスの授受は、ガソリンスタンドでガソリンや洗車を媒介に展開されるサービスの授受とは質的に異なっている。つまり有形(給油やオイル交換)もしくは無形(洗車やワックスかけ)の商品を金銭でやりとりする関係(サービス生産労働者とサービス消費者)という側面をもちつつ、その限りでサービスとその対価が1対1に対応しながら、他方でサービスの価値が出産という場に参加する人々によって状況の中で不断に意味づけられ変化する、という意味において(「こんなにしてあげてるのに」に対する「こんなはずじゃなかった」という感想など)。この点で医療者・助産者によって提供されるサービスは一義的に判断できるものではなく、参加者の解釈にも委ねられているといえる。
いいかえると、出産の場で提供されるサービスはそこに参加している人々だけが知り、サービスを提供する側と受け取る側がそれぞれの規準にしたがって、サービスの質と価値を評価していることになる。
学校教育との類比で再び考えてみよう。たとえば私立の学校の場合、学校案内とか説明会という形で、サービスを提供する側から広報活動等を通じて公表されることはある。しかし、サービスの受け手の側から、公表された(あるいは公表されていない)教育内容の質を問う議論が浮上してきただろうか。少なくとも大学を例にとる限り、教員が自分の講義に対するアンケートをとるという個別の対応を除くと、近年の(どれだけ成功しているかは別として)自己検討・自己評価が行われるまで、そうしたことを検討するという発想すらなかったといっていいだろう。理想的にいえば、専門家によるサービスの内容を第三者が知り得る形で公表し、それらをもとに改善点を明らかにしたり、結果を公表し、検討・評価しそれを公表し、サービスの受け手がそれらを参考に選択することを可能にすることだ。もちろん、教育の場でもそうであるように、そうした作業が現実には難しいからこそ、病院や助産院(法律事務所もそうだが)選びにとって「評判」や「紹介」が大事であったし、施設運営の立場にたてば「地盤」が重要だったのである。にもかかわらず、サービス内容を公開し、検討・評価の対象とすることが困難であっても、それを公けにしていく努力と工夫が求められなければならない14)。
出産とは、医療者や助産者からみれば、専門家としての学問知識やこれまでの臨床の場で得てきた経験的知識を動員し、対象である産婦に働きかける仕事の場である。これを産む側からみると、初産婦の場合は、まったく未知の、それだけにさまざまな期待と不安を抱え込んだ未経験のできごとに臨む場であり、状況によっては全く見たこともない人々を参加者として迎え経験する場となる。しかも医療者や助産者とちがって、それは彼女ら自身の身体におこる経験である。その意味である程度一般化していえば、初産婦に比べ経産婦の場合は、自分の最初の出産時の身体経験を情報として、どういう場合になにをするべきかという判断の基礎を得ることになり、それが平静さを維持する基盤を提供する傾向がある15)。
わたしが聞き取りをした病院勤務の助産婦は次のようなエピソードを語っている。それは、彼女が助産婦として勤務し始めたばかりのことで、過去に2回出産を経験した女性を担当することになった。出産の進行に対する判断が十分できなかった彼女に、ゆったり構えたその女性は「そろそろ出産だ」と自分でその時を伝え分娩台に乗り、助産婦である彼女は産婦の指示を受け助産するだけだったという。そしてそのお産を、本当に静かないいお産だったと彼女は回想していた。
サービスの受け手は専門家ではないにも関わらず、自分自身が身体情報を発信する主体であり、しかもそれを読み取ることも経験的にできるようになるために、先のエピソードのように、助産者が教えられる側に立つということが起きるのである。こうした点は一般の(少なくとも公式的な)学校教育ではみられない。
再び学校教育とのアナロジーから病院における出産とサービスの特徴を考えてみよう。共通する第一点は、国家資格を与えられた専門家によって構成された集団がサービスを提供するということ。つまり知識とサービス提供者として正統性が付与されている。第二点は、「上手にいきむ」「たくさん母乳が出せる」「妊娠中の適切な体重管理」といった出産・育児にとってよいとされる課題を、妊産婦が仕事として果たすことに対し、道徳的評価が与えられる点である。これは、早く走れるとか、数学の問題が解けるといったことと同様である。なぜ道徳的なのかといえば、こうしたカリキュラムが消化できなかったり達成度が低かった場合、助産婦や医師から「叱る」という形でサンクションが与えられ、達成度が高い場合はほめられるからである。
このように妊産婦にとっては、呼吸法や上手にいきむことをマスターしたり、過度にしてはいけないこと(喫煙、旅行、飲酒、性行為、仕事、不規則な生活時間の過ごし方など)を意識した生活をすることは、ちょうど与えられた学習カリキュラムを達成する意味をもっている。
こうして妊娠期から出産、そして育児へと進むプロセスは、正しい知識とサービスを提供する正統性を認められた人々から、知らないことを教わり、指導を受けて次に自分が何をすべきかを知る、という学習プロセスになる。素人である女性たちに求められる態度はこうした知識の提供と指導および期待に適応していくしていくことである。このような適応性は日本の学校教育の中で「社会的に定められた一定の目標や活動があり、ひいては社会的に是認された役割行動16)」に向かって勤勉に知識を得るように社会化された成果といってもいいかもしれない。産む人が「主体的に」「自分のこととして出産を学ぶ」ことを「学校としての病院」で奨励されるほど、逆説的だが「模範的」に達成すべき課題に専心し、その結果、自分が求めている、あるいは自分にとって必要な出産のあり方を模索するという意味での「主体性」は放棄するということになる。
(4)収集された身体情報のゆくえ
病院における定期検診や診察は、基本的には妊産婦と胎児の健康状態を確認することを目的とした、医療者・助産者側の情報収集作業である。妊産婦側にとってはその情報がフィードバックされ、安心を得るための(異常があれば健康を回復するための)作業である。しかし、産む側の受け止め方はこの情報収集作業がもっぱら医療者側の収集を第一の目的としている、というものである。
- 定期検診は不安解消には役立ちませんでした。
- きびしいスタッフだったので、ちょっとしたことでドキドキして血圧が高くなることもあったように思う。
- 担当の先生が決まっていないので前回と違うことをいわれたりして戸惑うことが多かった。良い先生は一人しかいなく嫌な先生は4人もいて、なかなか良い先生にあたらず、質問もなかなかできなかった。
- 事務的な感じがした。
- 最初から最後まで毎回内診があり、そうではない病院もあることを聞いたときショックを受けた。
たとえば車が安全に走行できることを確認し、突然トラブルに巻き込まれないために定期点検・整備がある。わたしたちが車検を受けるとき、それを専門家に任せ内部を一定の項目にしたがって点検してもらうのは、妊婦の定期検診とよく似ている。点検が無事行われたか、専門家からみて不備があって部品の交換や補強が行われたとしたら、そのための支払いは点検項目を渡されそれを確認することで了解、確認される。
しかし妊婦の定期検診は母子手帳の記載事項以外はカルテへの記入となっているから、病院にしか保管されないし、病院関係者しか見ることはできない。したがって、点検項目の必要性やそれらに基づく自分の身体の状態把握は医師、助産婦、看護関係者への信頼に大きく依存することになる。言い換えれば、信頼があれば、こうした情報の保存のされ方でさしあたり問題にならない。
- 医師も助産婦もとても優しく思いやりのある人たちで検診が楽しくもあった。
- (病院から助産院に変えたが、そこでの定期検診は)待ち時間は長いけれど、一人一人ていねいに、自分の孫を諭すように指導して下さいました。
情報収集という局面では、身体からの情報か、言語による情報か、という違いはあっても対象者から情報を収集するのは社会調査と全く同じである。では社会調査における調査者と被調査者との関係についてのわたしたちの一般的な合意事項はなにか。
社会調査では情報収集手段として電話回答や留置、郵送といった方法はあるが一般的に用いられるのは面接法である。この場合、社会調査の妥当性を高めるために回答者の虚偽を避けることと、面接者による影響をなるべく最小限にとどめ、結果として面接者は「測定装置」としての役割を果たすことで、対象者の信頼性の高い回答を得ることが期待されている。そしてその際に調査者(面接者)と被調査者はラポールを築きつつも、対象者に過剰同調することでデータが汚染されることを避けるためには一定の距離を保つことが重要であるとされる17)。
以上の社会調査の一般的性格についての略述からわかることは、面接者が対象者と信頼関係を結び、しかも対象者の世界にのみこまれず、これらを条件として面接者が測定装置として機能することが調査の妥当性、ひいてはデータの信頼性を保証するということになる、ということだ。また、調査目的を対象者に伝える大切さや、回答内容を含む調査で知り得たプライバシーの保護、また調査結果の還元といったことの重要性が、近年の「調査環境の悪化」を背景に強調されている18)。
検診の場合、言語情報より身体情報が優越する。たとえば、主訴では自覚がなかったり、忘れていたり、言いたくなかったりして表出されないことが、検診の場で明らかにされることがある。パーソンズの患者役割論風にいえば、健康を志向することは患者の役割であり、それを怠ることは患者としての義務を果たしていないことになる19)。妊産婦は患者ではないが20)、この点では患者役割とぴったり符合する。だから妊産婦自身健康を志向すること、自分と胎児の身の安全を守ることは、それをしないとなんらかのサンクションを伴う(周囲から親になる資格がないと非難されたり、医師から厳重な注意を受けるといった形で)という意味で、妊産婦の役割として期待されている。したがって自分の健康管理に努力し不調に対し敏感であることは、医療者のためではなく他ならぬ妊産婦自身にとっての最優先すべき目標となる。
他方、医療者・助産者にとってはどうか。妊産婦の健康と胎児の順調な成育をさまざまな装置を用いて検査、確認することは医療スタッフの仕事である。先述したようにそこでは言語および身体を媒介に情報が収集されるが、相対的に身体情報が重要視される。それは身体情報の場合、測定装置は測定者の身体(五感、とくに触診、視診、聴診というかたちで)を媒介するものと、測定者の身体を媒介せずに、その意味では誰でも技術さえマスターすれば計測できしかもその値が客観的に測定できるもの(体重計、腹囲を計測するメジャー、数値をデジタル表示する血圧計、尿や血液成分の分析器、超音波装置、分娩監視装置など)の二つがあり、客観的指標として情報の共有や必要に応じて公開(医療訴訟など)する際にデータとして説得力があるためである。視覚化されない情報、数値化されない情報はつかみどころのない曖昧な情報として劣位におかれる。このようにして現在の医療は(出産に限らず)、ますます客観的数値による身体情報の収集を重要視する傾向を強めている21)。
医療者や助産者、看護者が客観的な測定装置を用いて、あるいは自分自身の身体を測定装置として妊産婦の健康状態を測定することは、あくまでも妊産婦と胎児の健康を守るという最終目標のための手段である。患者や妊産婦といったクライアントの健康を守ったり回復させることを志向しつつ、そのために努力する義務が医療スタッフにあるからだ。しかしその身体はクライアント自身のものである。したがって本来的には言語および身体から得られた情報は提供者であるクライアントに属するものであり、健康を回復させ守るという目標の範囲内で医療スタッフが利用することが許される性格をもつものといえる。
それは日常生活に必要な車を定期点検に出し、専門家が個々の部品を点検し、項目にマークし、最終的に安全確認が出たときに、そのシートを自分の手元に保管し、それと同じものを依頼者(クライアント)に渡す工程と、点検された車でどう日々事故に遭わないように運転するかはクライアント自身の責任であることと全く変わらない。
ただし大きな違いは、車検の場合、クライアントは自分とは別に車を点検に出せるが、人間の定期検診は乗りこなす自分が乗りこなされる車でもあるということだ。そのために点検項目を一つ一つチェックすることは、専門家にとって自分の職務を忠実に果たすことであるが、それは妊産婦の側からみて自分の健康状態の確認作業をする場であり、状態によって治療を受ける場であり、その上さらに自分が妊産婦として期待される役割をきちんと遂行しているかどうか(つまりよい運転者かどうか)を評価される場でもある、ということになる。その評価者は医療者であり、この課題達成と指導・評価は〈学校としての病院〉という脈絡で行われるのだ。医療者は身体を点検・整備もするし、点検済みの身体の運転者としてふさわしいかどうかも評価し、指導をする。
しかし、こういう状況下で運転手のミスではなく、点検時に整備ミスがあったとしたら、誰がそうだと指摘できるのだろうか。
妊産婦にとって検診や診察という自分の健康管理のための手段であるはずの身体情報収集が、医療者のためのそれであるとしか思われないのはなぜか。結果として、検診や診察自体の内容に安心感をもたないことすらあるのはなぜか。それは検査の内容を問う以上に、そもそも情報収集をめぐる医療者・助産者(とりわけ医師)と妊産婦の関係のあり方に、そして身体の整備点検者であって、しかもその身体の運転者の評価者でもあることの問題性を、潜在的なかたちで示しているのではないか。
妊婦の身体からとりだされる情報の内容が不十分であるとか、多すぎるといったことへの疑問ではない。医療者・助産者にとってクライアントの健康管理に必要な専門情報を収集し分析し解釈する権利と義務がある一方で、現実の運用面ではそこでクライアントから把握された情報が、医師からクライアントの側に一方的に伝達されるのがほとんどだということだ。
妊産婦の身体が彼女ら自身のものであるように、彼女らから得られた身体情報もまた最終的に彼女らに帰属されるべきものである。こうした情報の収集と帰属のために十分なコミュニケーションが成立しなかったり、情報が一方的な流れに偏ったとき、助産婦や看護婦あるいは親族がしばしば「通訳」としての役割を果たす場合が起こってくる。つまり一方的な情報の流れに対し十分な理解ができなかったり、あるいは聞きそびれたり、自分の発言ができなかった妊産婦の声を、彼(女)らが情報伝達の不足を補うことで両者のコミュニケーションを成立させているのである。
4. おわりに
日本の高校教育を研究したトーマス・ローレンは極めて効率的な水準の高い日本の教育の利点を述べた後、自分の子どもを日本の高校で学ばせたいかと問われ、とっさに「ノー」と答えたという。その時の自分の対応を回想して、なぜ「ノー」なのか、その理由を次のように述べている。
それは「きわめてアメリカ的な……独立心のために、日本の高校で見た窮屈さときびしさとを伴う教育に、我慢ができなかった」ということと、「日本の高校教育が、美や感受性や精神面での人間性豊かな日本の伝統をほんの一部しか反映していない」という自分の印象によるものだという。さらに日本の高校教育に対して「善意の教師と行儀のよい生徒が、どう見ても深みがなく、なんら心の底からこみあげるようなものを伴わない目的に向かって、努力している」とつけ加えている。
平均的なアメリカの大学卒業生に匹敵する基礎知識も日本の高校卒業生は身につけているし、高校を卒業しない生徒数もはるかに日本は少ない。そうした効率的な高校教育の秩序維持にとって大学入試は「隠れたエンジン」の働きをしている。そのようにして「国民は、経済的な恩恵をこうむった。また、社会は快調に動いている。だが、現在の日本の社会に心がこもっていないことも、事実である」とローレンはいう22)。
産む側から病院を中心とする出産の現状を、コメント集や勤務助産婦の聞き取りを通じて分析を進める中で、わたし自身の病院分娩に対する感想も、ローレンの高校教育に対する感想と妙に一致する。つまり母子の生命の安全を保障する出産という大きな目的に向かって、専門家が中心になって効率的に病院という組織の中で出産が行われていく過程は、「どう見ても深みがなく、なんら心の底からこみあげるようなものを伴わない」「安全な出産」という目的に向かって努力しているようにみえる。あるいは安全な出産であることが一番であるためには、産む側の心はさしあたりどうでもいいことだ、ということだろうか。安全な出産を保証するための効率的な病院の分娩管理という視点にたてば、感情をもった身体はかえって撹乱作用をおこすということになるのかもしれない。
本論で分析、提示されたことがらからわかることは、出産が個人のレベルでは実に多様な経験として受け止められていることだ。その多様性に密着すれば、病院出産は機械的で出産したという実感が得られない場であるとか、助産院出産は出産を通した自己実現が達成できる場、といった単純な二分法などできないことがわかるだろう。それは産む側の多様性と医療・助産側の個別の対応における多様性に由来する。
しかし、おおまかに言えば、助産院出産の場合、妊産婦の身体時間に即したスケジュールが採用され、病院出産の場合はそうではない。それは平日の日中に出産を行うという、病院スケジュールに身体スケジュールを合わせるということの他に23)、組織としての勤務体制から、妊産婦との継続した関係形成がむずかしく、結果として担当医の不在や交代、あるいは見たこともない医師による突然の内診といった形で、妊産婦の不安を引き起こす大きな要因となっている。
出産時の参加者の関与に対する疑念はこうした病院組織という構造から生まれてくる。その意味で病院組織が正常出産における最終的な意志決定を医師にゆだね、しかも他の入院、外来のためのスケジュールを同時に進める限り、病院をピンクのカーテンで病院らしくなく擬装させたところで、なにも本質は変わらないと思われる。
《注》
1) ここでは代表的な文献だけを挙げておく。吉村典子『お産と出会う』勁草書房、1985年;吉村典子『子どもを産む』岩波新書、1992年;松岡悦子『出産の文化人類学−儀礼と産婆(増補改訂版)』海鳴社、1991年(初版:1985年);大林道子『助産婦の戦後』勁草書房、1989年;大林道子『お産−女と男と:羞恥心の視点から』勁草書房、1994年;落合恵美子「出産の社会史における二つの近代」(『近代家族とフェミニズム』勁草書房、1989年、所収)、1984年;落合恵美子「ある産婆の日本近代−ライフヒストリーから社会史へ」(『制度としての〈女〉』平凡社、1990年、所収);高橋由紀「現代日本における助産婦の職業観−「産婆」・「助産婦」のイメージをめぐって」お茶の水女子大学女性文化研究センター年報、第5号、1991年;中山まき子「妊娠体験者の子どもを持つことにおける意識−子どもを〈授かる〉・〈つくる〉意識を中心に−」『発達心理学研究』第3巻第2号、1992年;舩橋惠子『赤ちゃんを産むということ−社会学からのこころみ』NHKブックス、1994年;「特集 お産の心理学−性と生殖の深層」『イマーゴ』1994年6月号。また民俗学としては瀬川清子『女の民俗誌』東京書籍、1982年;鎌田久子他『日本人の子産み・子育て』勁草書房、1990年。
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2) 山岡テイ「出産・子育てをめぐる意識の変容」『現代のエスプリ−生活意識の変容』1995年、12月号、至文堂、および小林亜子「育児雑誌の四半世紀」『現代のエスプリ−子育て不安・子育て支援』1996年1月号、至文堂。
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3) もっともこうした育児誌を含むマスコミからの育児情報、病院や保健所、友人や母親といった多様な情報の中で、育児不安が増幅されるということも指摘されている。山岡テイ、前掲論文。
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4) 大出春江「産む文化 7」『東京文化短期大学紀要』13号、1995年、p.81。
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5) こうしたことを可能にする、資料としての「コメント集」の性格については「産む文化 6」『東京文化短期大学紀要』12号、1994年を参照のこと。
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6) Renata Tesch "Qualitative Analysis for Social Scientists" Cambridge University Press, 1990参照。
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7) Grounded Theory Methodの理論とデータについての基本的な考え方についてはB. G.グレイザー、A. L. ストラウス著後藤・大出・水野訳『データ対話型理論の発見−調査からいかに理論をうみだすか』新曜社、1996年参照。また具体的な分析手法についてはAnselm L.Strauss, "Qualitative Analysis for Social Scientists," Cambridge University Press, 1987, およびAnselm L. Strauss and Juliet Corbin, "Basics of Qualitative Research−Grounded Theory Procedures and Techniques," Sage, 1990参照。
本論の中で用いる(1)から(3)はストラウスとコーバンがテキスト・データを分析する際の三つの手法を参考にし、それをこのコメント集分析に使いやすいように若干の手直しをしたものである。ストラウスらは「〈一行単位〉分析」(このバリエーションとして〈単語単位〉〈フレーズ単位〉がある)、「〈センテンス単位〉分析」、「〈段落単位〉分析」としており、これらはほぼ(3)、(2)、(1)にそれぞれ対応している。Strauss and Corbin, 1990, p.63参照。わたしたちが一般的に意識するにせよしないにせよ、テキスト・データを分析する際には書き手の意図にしたがった最後の「〈段落単位〉分析」を用いることが多い。この点でストラウスらが開発したグラウンディド・セオリー法は、テキスト・データの脈絡から分析対象を切り離す「〈一行単位〉分析」手法に、特徴の一つがよく表されている。しかし、だからといって書き手の全体脈絡を無視するものではないが(著者らは分析の段階に応じて使い分けられるべきだとしているが)、この前者だけがグラウンディド・セオリー法の特徴として強調されることがある。Ian Dey "Qualitative Data Analysis: A User-friendly guide for social scientists" Routledge, 1993, p103.
分析的に出産のプロセスと社会環境を考える上で、水野節夫さん、古川早苗さん、中村美優さんらとの「GT研究会」を通じての議論からたくさんのことを学ばせて頂いた。記してお礼を申し上げます。
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8) 妊娠から出産までの行程を、仕事あるいは作業という観点からみることは次の文献から示唆を得ている。Anselm Strauss, Shizuko Fagerhaugh, Barbara Suczek and Carolyn Wiener, "Social Organization of Medical Work" The University of Chicago Press, 1985. また分析を進める過程で、慢性疾患の入院患者および親族の仕事に関する分析と共通することが後からわかったが、第一段階でのコーディングでは戦略的な意味で、参考にすることを避けた。Anselm L. Strauss et al, "Chronic Illness and the Quality of Life" The C.V. Mosby Company, 1984 (Second ed.), アンセルム・ストラウス他南裕子監訳『慢性疾患を生きる−−ケアとクォリティ』医学書院、1987年、第11章および第12章。
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9) 二つの公立病院における助産婦を対象とした聞き取りおよび病院観察を行なうために、中村美優さんと松田弘美さんには大変お世話になりました。病院の看護部長さん、産科婦長さんそして貴重な時間を割いてくださった助産婦諸姉には改めて感謝申し上げます。なおこの聞き取り調査は現在も継続中のため、まとまった分析と成果は機会を改めて発表する予定である。
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10) 助産院や病院における出産をめぐって、どのような仕事がそれぞれの参加者によって行われているのかを知るには、調査研究者が検診時や出産時の参加者の行動を観察をすることがより望ましいのは言うまでもない。不可能ではないが、学校での授業とか企業の仕事環境などの観察と比較すると、相対的にはスタッフ以外の者の入室・観察はそれほど容易ではない。もちろん観察することだけが、そこでの参加者のやりとりをかなり正確な形で理解する唯一の方法であるとは限らないとしても、今後こうした諸施設での観察が加われば、ここで示した表の項目はさらに追加、補足されていくだろう。
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11) 関与の分類については次の文献を参照。E.ゴッフマン著丸木恵祐・本名信行訳『集まりの構造−−新しい日常行動論を求めて』誠信書房、1980年(Erving Goffman, "Behavior in Public Places: Notes on the Social Organization of Gatherings" The Free Press, 1963)
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12) 分析を進めていく中でしばしば遭遇したのは、産後しばらくの間(個人差はあるが1〜2週間)は身体そのものが〈感情増幅装置〉とでも呼ぶのがふさわしいほど、感情の昂揚が激しかったり、小さなことにも過剰に反応しやすい状態があることへの言及である。こうした受け手の状態が助産者の評価を左右している背景にあることも念頭においておかなくてはならないだろう。
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13) Deborah A. Sullivan and Rose Weitz, "Labor Pains: Modern Midwives and Home Birth," Yale University Press, 1988, p.19.
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14) 現実にフィードバックされているかどうかは別にすると、教育サービスの受け手(学生)が専門家(教員)によるサービス(講義)の質を評価し、それを報告書に盛り込むといった試みも出てきている(評価の仕方や尺度自体はサービスの提供側の枠組みの中でのことであるが)。
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15) 一人目の出産が安全でまったく順調だったからといって、その次の出産がそうなるとは限らないことはいうまでもない。ただここで強調しておきたいのは出産の場合、身体からの情報収集とそれに基づく判断および助産者や医療者にそれを伝達して出産の進行を知らせるのが産む人自身だということ、および出産はほとんどの場合は正常に進行する身体的プロセスであるという二つの特徴をもつということである。
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16) トーマス・ローレン著友田泰正訳『日本の高校: 成功と代償』サイマル出版会、1988年(Thomas P. Rohlen, "Japan's High Schools" University of California Press, 1983)、336ページ。
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17) 原純輔、海野道郎『社会調査演習』東京大学出版会、1984年、1章。
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18) 同上書。調査協力の依頼は第一に「貴重な時間を割いて協力していただいているという意識を堅持すること」、第二に「『教えられにきました』という謙虚な態度で臨むことが必要」だとして、「間違っても『あなたがたの意見を聴くのは、あなたがたの生活をよくするためであり、協力は当然である』といった素振りは、つゆだにみせぬこと」と戒めている。丹野朝栄「面接の仕方」村田宏雄編『社会調査』勁草書房、1981年。
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19)
大出春江「高度工業化社会における医療の問題−パーソンズとイリッチにおける医療モデルの比較を通じて−」『上智大学社会学論集』第9号、1984年、26〜43ページ。
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20) 「出産は病気ではない」この言葉は繰り返し本や、雑誌、あるいは人々によって語られる。しかし、病院環境の中でこの言葉はともすると説得力をもちにくく、わたし自身、聞き取りの最中に助産婦さんが何度か妊産婦のことを「患者さん」と表現するのを聞いている。
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21) 聴診器やトラウベといえば、医師や助産婦(産婆)を象徴的に示す測定装置だが、これらはともに測定者の身体を媒介するものであるため、それだけ体内情報は患者あるいは妊産婦の身体に接触した者だけに属す。こうしたことからトラウベはドップラーや超音波装置にとって替わられていったのはこうした事情によるものと考えられる。またやはりこれも近年の傾向だが、妊産婦の健康管理に体重増加を一定範囲に保つことが彼女らにとって強迫的でさえあるのも、やはり客観的数字のもつ説得力によるものだろう。
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22) トーマス・ローレン、前掲書書、340〜344ページ。
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23) 大出春江「“計画分娩”について考える」『助産婦雑誌』第48巻、6号、医学書院、1994年6月。
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