-9- 第252号 | 昭和52年10月11日 |
小学校
小学校創設三十周年
学園創立五十周年の記念すべき年を迎え、創立記念日、十月十六日(初代校長新渡戸稲造先生御命日)には学内で意義ある記念式典が開催される。キリスト教主義と少数教育を特色
新渡戸、森本先生の教えを受け継ぐ
学園五十周年と共に、幼稚園は昨年すでに三十周年、小学校は明年創設三十周年を迎える)学園の小学校として、ここに創設期の頃を回顧すると共に、今後の新しい小学校の発展を期して参りたい。
小学校創設の背景
終戦の年、昭和二十年夏から二ケ年半後の昭和二十三年春、当時女子経済専門学絞の財団の中に、経専小学校が創設された。
日本の社会全体が、文字通り終戦直後の虚脱状態からようやく新しい日本への道を歩み出した年で教育行政の面ではアメリカGHQの支配下にあって、新しい学校制度、新しい教育課程、新しい指導要領が次々と相前後して発表された時代であった。
学園創設の父、森本厚吉先生は「真理は汝等に自由を与うべし」という聖書的信仰理念に立って、学園の一貫教育を目標に、幼稚園につづき小学校を創設された。森本厚吉先生の教育理念であると同時に、新渡戸稲造先生のご遺志を継がれたものと伝えられている。
物資不足の中で開校
社会状勢未だ極めて困難な時に決して後には引くことのできない小学校教育を、崇高なキリスト教主義の精神に立って、しかも少数教育を特色として発足したのである。実は4月開校の直前まで、校舎も教室も定まらず、児童募集も選考も決して容易ではなかった。
創設当時の校舎は、もとより借物で、現在の小学校玄関前のコンクリート校庭の位置に、三階に屋根裏部屋をもつ木造二階建で、元来、専門学校の地方から上京した学生のための寄宿舎であった。一階には幼稚園の保育室、遊戯室等がすでに設けられ、二階は、戦災をこうむられた先生方の数家族が住宅として使用しておられた。
この六畳程度の和室の三部屋の壁をうちぬいて、細長い天井の低い暗い部屋、畳をあげて、畳をはりかえて、部屋の片側に一間おきに柱が残されたままの全く異様な教室が生まれた。机も椅子も黒板もすべて借物でありました。食料不足、物資不足と云われた時代でノート、鉛筆などの学用品も極めてお粗末でありました。
特に教科書が、GHQ行政下で児童用は殆んどなかったのです。
教科書がない学習生活などというものは、今日の色刷り教科書、豪華なまでの文房具、目をみはるような豊富な参考書類、新しい各種教育機器の時代からは決して考えることができない程です。
以上のような創草期に思い起されるのは、ご老令であった校長森本厚吾先生が、時折幼小を尋ねられ、やさしく子供達にほほえみかけられた面影です。若き日にキリスト者としての信仰に入られた先生が、晩年、自由な時代を迎えて小学絞創設にうちこまれたキリスト教主義教育の情愛と厳しさは、歴代絞長の遺訓と共に今日に触承され、新しい発展への瀬となっていると確信する。
「動物人間とは」
小学校校長・幼稚園園長 鈴木 光雄
不慮の災害に会い、心身に障害を負い、あるいは公害により、薬害によって、その人自身の意思も、思考も記憶も感情も、運動機能も失われた方々を、悲しいことばで「植物人間」などと呼ばれております。
専門のお医者様が、近代医学によって手を医学によって手をつくしても、健全な心身をとり戻すことは容易ではないと思われてなりません。
しかし、一方やや違った意味での「植物人間」を、教師が、親が熱中して育てているのではないかと考えさせられるのです。
一部マスコミでいわれる「早期教育」は、狭い知的能力の開発のみに走り、心身発達のバランスを失った「促成栽培」によって、幼い内に、蕾どころか花まで咲かせ、しかも季節狂いのした花まで咲かせて、我が子の成長?を喜び求めている親がいかに多いかということに私は恐れを感ずるのです。
植物を育てることと子供を育てることは相通ずるところがあります。それは、よい地に、よい種をまいて、月日をかけて育て上げることです。子供のうちに花を咲かせて、思春期を迎え、やがて成人し、大学生活を経て、社会に立った時に、学歴のみが背に残って、自らは創造性も、指導力も、強調性も決断力も弱い人間、自らの仕事に使命感もなく、誇りも喜びも感謝ももち得ない人間に育ててしまったならば、私はこの人々こそ「植物人間」と呼びたいのです。
いくつもの事例に接している私にとって「三つ子の魂百まで」といわれる日本の古い格言が、今日の教育にとってもいかに大切でありこの大切な時の教育を誤ってはならないと痛切に感ずるのです。
戦後三十余年の日本の教育が、今新しい改革の時期を迎えている本来の意義は、子供の心身の真実の成長に即した真実の教育を求める教育課程の改革であると信ずるのです。いわゆる「ゆとりと充実」が子供達の心の中に豊かに育てられ充たされていくキメ細い日々の教育実践をしていきたいと願っております。