-7- 第336号 | 平成12年3月10日 |
小学校
「おかわり!」
楽しいお餅つき (生活科)
東京文化小学校では、毎年一月になると「お餅つき」をしています。もう、何十年も続いている恒例行事です。
以前は、全校児童が参加したり、相撲大会と合わせて開催したりと大がかりな学校行事でしたが、現在は生活科の一環として、一、二年生の子ども達が主体になっておこなわれています。
一年生が入学してまだ問もない頃、ひらがなの勉強をしていた時のことです。「うす」と 「きね」 の絵が出てきたので問いかけたところ、
「知っている。」と言う子が多かったものの、「おもちつきする時のとんかちだよ。」
「これで、おもちをたたくんでしょう。あれ?持つ方がうすだっけ?」
などと話していて、区別の付かない子、もちつきを知らない子が多いのを実感したものです。
文化のお餅つきでは、初めての経験を楽しむのは一年生、たっぶりと活躍するのは二年生とお手伝いに釆てくださったその保護者の方々でしょう。
前日、二年生はエプロン姿に三角巾という出で立ちで理科室へむかいました。餅米を研いで準備するのも子ども達です。冷たい水に手を入れて、ざるとボールを使いながら、じよりじょりとお米を研いでいきます。この時、流れていってしまったお米もありましたが、「おいしいおもちになあれ。」という子どもたちの思いがエッセンスになって、不思議なはどおいしいお餅が出・釆るのです。
当日は、朝礼の始まる頃には、火を入れました。炊きあがりの時間を計る先生方、力強いつき手、タイミングの良いかえし手、お父様お母様方の息も合って、熱々のお米が、次々に、おいしいきな粉餅に変身していきます。その過程を子ども達は目の当たりにしていくことができました。もちろん、一年生にとっても、二年生にとっても、そのきな粉餅は自分で作ったお餅です。重いきねを振り上げてペったん、ペったん、とつかせてもらいました。自分の順番でない時も、「よいしょっ。よいしょっ。」 と、大きなかけ声で応援していました。
できあがったお餅を小さくちぎってきな粉をまぶしていくのも二年生の子ども達の役目です。「あったかいね。」「柔らかくて、いい気持ち。」 と堪能していました。教室に入って食べる役になった一年生は、ペろりとたいらげて、お代りの行列を作り続けていました。
(安蔵)
こども
よみがえる幼児期
小学校長・幼稚園長 山田 庸夫
咋年十一月、東京文化小学校と幼稚園の合同保護者会の講演会に斎藤万里先生という方をお招きしました。実はこの方は私が栃木県日光の幼稚園児だった時の担任の先生です。斎藤先生はまた、前園長の丸翠先生が東洋英和幼稚園の園児だった時、実習生として丸先生ともつながりのあった方でもあります。
斎藤先生は、すでに八十歳を過ぎておられますが、現在でもたいそうお元気で、ご夫君と共に過ごされた十一年間のイギリス生活を通して体験した。イギリスの家庭教育について話してくださいました。
私が教師として幼稚園に関わるようになった時、六十年を隔てた自分の幼児期の記憶が急に鮮明によみがえってくるのを強く感じました。斎藤先生の当時の事も、私と先生とがその時に交した会話のことも、どんな位置に向いあって坐ったかについても、脳理に記録されたビデオテープに、きちんと録画されていました。例えば初冬に雪がちらついてきた時、園舎の窓から顔を出した先生が作詞・作曲の雪の歌を歌って園庭で遊んでいた私たちに、その歌を教えて下さったこと、歌での問いかけに歌で答えなければならないのに、別の答えをし、後でしっかり、やり直しをさせられたことなどです。(驚いたのはその歌は東京文化幼稚園の中に今も歌い継がれているのです。「○○チャン、○○チャンハドコデセウ/ココデス、ココデス、ココニヰマス」という歌です。)
六十年前の記憶が鮮明に残って脳に刻まれていることには我ながら驚かざるを得ません。その記憶は(喜びも悲しみも、そして罪悪感もひっくるめて)その後の人格形成に大きな影響を与えていきます。
それだけに、教師として幼い小さい魂に向い合う立山場にある現在の自分を、常に厳しく律していかなければならないと、あらためて思うのです。「襟を正せ」と。