-3- 第342号 | 平成14年3月12日 |
一人一人に合った指導を
小学校帰国指導担当
清水千里
熱心な帰国指導のようす
私が橋本正礼元小学校長に校長室でお会いしたのは、もう十四年も前のことになってしまいます。以前勤めていた学校で帰国子女教育学級の担任をした経験があったことで帰国児の指導のお話がありました。しかし、お話を受けるには二つの不安がありました。ひとつには、私立小学校の教員となること、そしてもうひとつには帰国子女教育学級の児童を担当するのではなく、普通の学級にいる帰国児の取り出し指導であることでした。
私が着任する前は、橋本先生が自ら校長室で帰国子女の取り出し指導をなさっていて、手作りの教材が数多くファイルに納められていました。
お忙しい中、よくなさっていたなと感心させられたものでした。そんな橋本校長先生の月曜集会でのお話や毎日のお祈り、中庭で児童と遊ばれている姿を見て、私立小学校の良さを実感し、初めの不安はなくなりました。
またもうひとつの不安も、実際に指導が始まってすぐに解消されました。それは、帰国子女という特別な集団でなく、単に外国から帰国した一人の児童で、学級の中では他の児童と同じようにひとりの児童に過ぎないということが学校全体によくいきわたっている事でした。小規模ということもあって、担任の先生との連携も密であり、子ども達も帰国児を特別視することもありません。
ほとんどの場合が一対一の指導なので、海外での生活のために欠けている学習や生活体験がすぐに把握でき、ひとりひとりにあった効率のよい指導が出来ます。この取り出し指導は本人の苦手な部分を克服する所に力を注ぐので、児童にとっては面倒臭い学習となります。しかし、それを乗り越えた時のわかる嬉しさや、できた喜びは自信につながります。
今までに約70人との帰国児と学習してきましたが、それぞれに想い出も多く、卒業して活躍している姿を見聞きすると、大変嬉しいものです。
バルセロナから帰国して
小学校
5年 渡辺愛里
私がスペインで通っていたバルセロナ日本人学校は、一学年のクラスが一つしかなく、人数も少ないので、みんなと友達になれる、すてきな学校でした。
帰国後、クラス替えなど、不安なことがたくさんありましたが、東京文化小学校も学年一クラスで楽しい行事も多いので、みんなとすぐに仲良くなれました。担任の先生も、何でも一生懸命教えてくださる、とてもすばらしい先生です。“大きな夢を育てる小さな学校”で、私も夢に自信が持てるようになりました。
生き生きとした子供たちの顔
小学校保護者
渡辺静雄
二年前、闘牛とフラメンコの国でうかうかと毎日を過ごしていた我が家では、帰国を前に学校選びが悩みの種でした。海外に聞こえてくる日本の学校の話は、「いじめや不登校」など、耳を覆いたくなるような話ばかり。そんな時に見た文化小のホームページには、実に生き生きとした子供たちの顔がありました。この学校にお願いしようと決め姉妹共々入学させていただきました。
学校全体の暖かい雰囲気もさることながら、先生方の子供に応じた適切な御指導のおかげで、今春上の娘は無事卒業することになりました。本当にありがとうございました。文化小のますますのご発展をお祈り致しております。
「ブラジルの田舎の小さな日本人学校」
常務理事 矢部 邦男今から25年ほど前、ブラジルの奥地のベロ・オリゾンテという高原都市に4年間駐在したことがある。プレカンブリア紀の古い地層で、鉄鉱石を始め鉱物資源が豊かな所だが、一歩郊外に出ると大人の背丈程もある蛾塚が点々とし、時にサソリやタランチュウも現れる荒野が拡がる土地である。 小学生の長男、長女と幼い次女も一緒だったが、サンパウロやリオの様な国際都市とは程遠く、日本人駐在員の子ども達には小さな日本人の補習校があるのみだった。
古い民家を借りて、大きな備品といえば手摺り印刷機位、先生は現地採用の二人の若い日本女性だけ。それを父母達が懸命に支えていた。小学年から中学二年生まで約50人の生徒に対し、日本の終戦直後に行われたような複式二部授業(二つの学年を一教室で一人の先生が、午前低学年、午後高学年に分けて教える方法)で何とかやりくりした。教師免許状を持つ父母が補助教員をつとめたり、卓球台やオルガンの寄付もあって備品も少しずつ充実していった。子供達も元気に学んだ。私も一時PTA会長を務めたが、個人の家に順に集まって手弁当で深夜まで学校行事計画や予算立案などに頭をひねり、日本への出張時には海外子女教育振興財団などを訪れて教師派遣のお願いも行った。まさに先生と父母が一丸となった手作りの学校だった。帰国後、子供達はそれまでの大きな遅れを取り戻して立派に巣立っていってくれたが、これも顧みればあの時の先生方の教育にかける情熱と、父母の方々の子供達への愛情に基づいた奉仕の精神のお陰だったと思う。教育の原点にふれた気がする印象深い思い出である。