-5- 第344号 | 平成14年12月12日 |
医学技術専門学校
創立五十周年を迎えて 伊藤 昭三
10月12日、東京文化医学技術専門学校・創立五十周年記念式典が、臨床検査関係者多数の臨席のもとに、東京文化学園体育館で盛大に挙行された。東京文化学園は、女性の地位向上を目指して、森本厚吉、新渡戸稲造氏らにより1927年に創設されたもので、学園の教育方針である3H精神をモットーに、これまで一貫して女子の高等専門教育を行ってきた。
当校は我が国初の臨床検査技師養成校となる、東京文化短期大学・医学技術研究室として1952年に発足しているが、当時は臨床検査技師の必要性について疑問視する向きも多かった時代であり、設立に踏み切られた橋本寛敏(聖路加病院院長)、森本静子短大学長の英断と先見の明には感服の他はない。
研究室はその後短大から独立して、東京文化医学技術学校を経て現在の校名に改められたが、時代の要請に応え、創立五十周年を期に男女共学となった。
日本臨床検査医学会や日本臨床衛生検査技師会の前身である、臨床病理懇談会や衛生検査技術者会も1952年に発足していることを考えると、同校は我が国における検査医学界の歴史と共に歩み、発展してきたことになる。
式典は大森昭三校長、森本晴生学園理事長の式辞に始まり、森三樹雄氏(世界病理学・臨床検査医学会議会長)、櫻林郁之介氏(日本臨床検査医学会会長)、岩田進氏(日本臨床衛生検査技師会会長)、北村清吉氏(全国臨床検査技師教育施設協議会会長)の祝辞の後、実習病院、功労者、永年勤続者に感謝状の贈呈が行われた。
次いで、国際臨床病理センター所長河合忠氏の「臨床検査五十年の歩み―21世紀変革への胎動―」と題する記念講演が行われたが、その中で氏は臨床検査のこれまでの歩みと、今後のあるべき姿について明快に示され、同校創立五十周年を飾るに相応しい講演であった。
当校はこれまで、2,700名の有為の人材を世に送り出してきたが、臨床検査技師養成校の先駆者として恥ずかしくないよう、また時代のニーズに即した人材の育成に努められるよう、今後、教職員一同さらに一丸となって学校を益々発展させて行きたい。
学園祭を終えて
医学技術専門学校一年A組
石田友美
11月2日・3日に穏やかな晴天の中、学園祭が行われました。我が校では、展示や模擬店、バザーやビンゴなど、多方面に催しを行いました。
展示では研究班毎に、二年生を中心に日頃の学業を通じてつちかった研究内容や、学習の成果などを、テーマ決めから始め、約半年間のまとめや勉強会を経て発表しました。中でも、健診を行うコーナーでは骨密度の測定に人気が集まり、200名以上の方の健康に寄与できました。
模擬店では、ご来場の皆様や参加者全員にとって、学園祭が楽しい思い出として残るものになるよう、一生懸命取り組むことにより、私たちもまた、企画や販売員の経験を楽しむことができました。バザーも、皆で品物を出し合い、沢山の商品が集まって大繁盛でした。
学園祭の準備期間が、学園祭を行う前の3日間だけでしたので、最初は学園祭までに間に合うかどうか心配でしたが、準備期間の最終日に医技校舎内を見わたすと、普段、授業を行っている教室や実習室は、展示や模擬店の飾りつけなどで華やかになり、目を見張るような完璧さでした。
展示内容についてまとめ、去年の経験を活かした指示を出す二年生、上級生の指示に従い真剣に作業に取り組む一年生、そして、的確なアドバイスで二年生を優しくサポートする三年生。どの研究班も、一つのことを成功させようと一致団結する姿を見ることができました。
学園祭当日は、各研究班の発表や模擬店に加え、借り物競争や早食い早口二人羽織、そして、先生方も参加する仮装カラオケ大会などのイベントが盛り沢山に行われました。仮装カラオケ大会では、息の合ったダンスを踊った班や、軽快な踊りと歌を合わせた班など様々な工夫で周囲を圧倒させましたが、どの班も展示や模擬店準備に追われる中、合間を縫って連日夜遅くまで練習した仲間との汗と涙?の共同傑作でした。普段、優しく私たちを支えてくださる先生チームによる、毒々しいキャンディーズも、皆を笑わせてくれました。私の班は、「タンポポ」の仮装で、踊り付きで歌い、練習の成果もあって優勝することができたことは、最高の思い出となりました。
学園祭を通じて、今まであまり話したことのなかった人と話したり、友人の新たな一面を知ることができました。何でも話し合える友人や、頼りになる先輩、そして、優しい先生方が、いつも私たちを支えてくれていることを改めて実感しました。学園祭という一つの行事を成功させることができたのは、医技全体での信頼関係のおかげだったと思います。
来年の学園祭も成功させ、更に良いものを目指せるように頑張りたいと思います。