イルカさん里帰り
イルカ(いるか:高校S.44卒)
本学「体育館こけら落としコンサート」から23年。
母校への久しぶりの里帰り「ふるさとコンサート」が平成15年11月2日(日)に行われます。
フォークソンググループ「シュリークス」を経て、シンガーソングライター「イルカ」として昭和49(1974)年に「あの頃のぼくは」でソロデビュー。代表曲『なごり雪』は、日本のフォークソングを代表するこの名曲です。
歌手としてだけではなく、画家、絵本作家としても親しまれています。
思えば、夢に見たあのえんじ色のネクタイを風になびかせて初めて登校した日から、もう随分と永い年月が流れているのですね! 私は旧姓を保坂としえと申します。今は「イルカ」という名前で歌を創り、コンサートを中心に全国を歌で巡っています。しかし、小学生の頃の私は本当におとなしい子供で、まさか人前で歌を歌うようになるなどとは夢にも思っていませんでした。
ところが、東京文化に入学してからの私は別人のように変わり、とにかく何事に関しても積極的な子になったのです。とはいえ、勉強以外のことに関してのみでしたが。
とにかく東京文化特有の、のんびりした家庭的な雰囲気が私の心の種にたっぷりとお水を下さったのでしょう。創作ダンスや球技大会、芸術の会、遠足などのときには俄然ハリキリ、両親からはよく「宴会屋みたいだね」と笑われておりました。 一番多感な年頃をこんなにステキなこととして思い出せるのは、何と幸せなことでしょう。確かに今から思えば、もっともっと、のんびりとした時代ではありましたが…。
私は、よく学校ヘギターを抱えて登校しました。自分一人で勝手に創った歌を友達に聞いてもらえる喜び、そして褒めてもらえたときの嬉しさ。その感動は放課後の教室とともに今も私の胸によみがえってきます。そして文化祭では毎年、学園ホールでガチャガチャとうるさい音楽をやっていたのですが、先生方は叱ることもなく広い心で見守って下さった。本当に心から感謝しています。
当時は、ギターを持っているだけで「不良」呼ばわりされた時代でしたからね。でも私はただの一度もそんな後ろめたい気持ちを投げつけられることなくスクスクと育ったのです。そして、その延長線に今の私がいる……。
そんなことを想うとき、心に浮かぶのは学園ホールに掲げられた「新渡戸稲造先生」「森本厚吉先生」のお写真。そして阪本浅之助先生のお話や賛美歌、小田喜貞三先生の愛いっぱいのお小言。そして今も心にホッカリと根付いている「3H精神」です。
一人の人間が生まれ、自分の人生を生きていくとき、学校や先生そして友達の存在の何と大きいことかと、今さらながら感じています。
私も、講演会やシンポジウムで教育や子育てについて話す機会がよくあるのですが、東京文化学園で育てていただいた「心」や「思い出」は大きな核となっているようです。
そして今も、スクスクと育っている沢山のかわいらしい後輩達が、いつか自分を振り返ったとき、すてきな思い出で胸が温かくなるような学園生活を送ってほしいと願うのです。いつまでも。いつまでも。
イルカ(神部としえ)一昨年に完成したガーデンのデザインもイルカさんです。
「卒業生が語る東京文化学園の七十年」より