野尻学荘クラブニュース:No.55


「1996年の1年間のあゆみを中心に」
  こ の 一 年 の あ ゆ み か ら

敬称略・殖栗信夫編

1996年

1/16
笠谷陽一氏(第17・18回野尻学荘担当主事)ご逝去

1/21
日下部拓(元ボーイズ・リーダー・ディレクター)
米国カリフォルニア州ストージ長老教会の牧師に就任

2/10
山川國益(前野尻キャンプ管理人)著作集『夕暮れ』出版。
「…きびきびと一日のプログラムを力を合わせておこなっているキャンパーに、出来る限りの事を進んでお手伝いしてあげたい。彼らが友情を深め、協力する事の尊さを知り、暗いランプの炎の中に自然の美しさを悟り、小さい胸をふくらませている事を信じる。そしてその炎が何年も何十年も消えることなく成長される事を…。」本文31ページ

2/15
野尻学荘クラブ・ニュース 第51号発行

3/ 2
東京YMCA『野尻学荘60回記念誌 光に歩めよ』出版・同記念会開催。
額田年編『野尻学荘誌』(1951)、東京YMCA『限りなき成長 野尻学荘40回記念誌』(1975)に続く3冊目の学荘誌となる。
「…その上このキャンプの体験をとおして、仕えられるものから仕えるものとなった多くの有為な人々によって、現在の東京YMCAは支えられているのであります。…」上信越野外活動センター運営委員長抱井五郎・本文2ページ

3/ 2
1996年度野尻学荘クラブ総会(於YMCA) 藤本博信会長以下45名出席。
「私は代表権の無い会長みたいで、クラブの実務はみんな若い人達が勝手にやってくれています。」藤本会長ご挨拶から

3/31
野尻学荘クラブ担当の東京YMCA山口隆主事札幌YMCAへ転任。
クラブ担当の後任に飯忍主事

4/ 1
東洋英和敬和会機関紙60−2号『むくいをのぞまでー』として長野彌先生記念号を発行。
「電車の乗り降りや、車内の通風のこと、海岸を歩くときの注意など、こまごまと気をくばられるのは(長野)園長先生でした。車内で突然、『そこ、そこそこ!』と注意されても何のことか気がつかず、キョロキョロ見回しているとご自分でさっさと車内の窓を開けて回られます。つまり子どもがこれだけ大勢いるのに、新鮮な空気を入れかえるようにしなければ!という細やかな配慮からでした。…」黒田茂子・本文25ページ

4/12
夏目武彦氏(元ボーイズ・リーダー)ご逝去

4/20
野尻学荘クラブ・ニュース第52号発行。
学荘参加者募集活動に協力

4/30
窪田春雄氏(第3回野尻学荘木工リーダー)ご逝去

5/ 1
第61回野尻学荘リーダー研修費として20万円をYMCAに指定寄付。
札幌、山形、京都などの地方都市にある大学に在学中のリーダー達の上京交通費補助として用いられた

5/11
トミソングCD化のための練習会:於東京文化学園。
以後数回トミさんを中心に開催され、有志が参加。東洋英和女学院のOG有志の応援も受けた

6/20
野尻学荘クラブ・ニュース 第53号発行

7/ 5
森井利夫監修/東京YMCA野外教育研究所編
『野外教育の理論と実際組織キャンプ入門』(学文社刊)出版・同記念会開催。
「組織キャンプが人を育てるために有効な方法であるということは従来からいわれてきている。しかし、それが他の方法とどう異なるのか、それによって人が育つメカニズムはどう説明できるのかといった問題はいまひとつ明確ではなかった。…」第8章冒険教育とキャンプ・林寿夫・本文120ページ

7/13
小出啓介(第61回野尻学荘プログラムディレクター)結婚式。
丹羽清治牧師司式・森井利夫夫妻立会人・斉藤章奏楽・殖栗信夫司会・於YMCAチャペル

8/ 1
藤本博信会長、前年1月にゴルフ中に打球を頭部にうける事故に遭われて以来治療とリハビリを続けられていたが全快を宣言

8/ 8
第61回野尻学荘開催。
22日までの14泊15日。森井利夫荘長(参加ボーイズ 中学生38・高校生15・リーダー・スタッフ23総計76名)学荘OBの二代目、三代目などにあたる参加者も多い

8/16
「むかでワイズメンズクラブ野尻ファミリーキャンプ」19日まで開催。
参加者約20名

8/22
「野尻学荘クラブ奨学金制度」による奨学金(1名・5万円)を申請保護者に贈呈

9/30
新堀邦司著『野尻湖物語』(長野県信濃町文化による里おこしの会刊)出版。
著者は東京YMCA副総主事・本会々員。
「…(1993年に)東京YMCA野尻キャンプ開設60周年記念式典が行われ、来賓に大草忠和町長はじめ、地元の方々をお招きした。式典の後の懇談の席で大草町長から、『町のためにも何か協力してもらえないだろうか』といわれたことがある。
思えば長い間、私は町の方々からお世話になるだけでなんの恩返しもしてこなかった。…」同書まえがきから

10/20
野尻学荘クラブ・ニュース 第54号発行。
拡大配布号として300部発行。旧会員や会員候補者へも郵送、入会勧誘

12/8
山崎敬雄氏(元リーダー)ご逝去

12/20
野尻学荘クラブ・ニュース 第55号クリスマス特別号発行

12/23
野尻学荘クラブ拡大幹事会(クリスマス祝会):浅草橋「モモ」にて。
現役リーダーも招待して。
この日「第61回野尻学荘思いで会」YMCAにて開催。同「第61回野尻学荘思いで帳」発刊


1997年

1/6
冨岡正男さん(トミさん)のペイジェントがナザレ修女院において開かれました。


独り歩きのペイジェント

富岡正男

60年前の「山々高く」が野尻学荘の荘歌として現在歌われています。45年前の「ハレルヤ」がしんになって、女声「メサイア」が歌われています。23年前、こどもとおとなのためのクリスマス・ページェント「イエスさまのおたんじょう」を書きました。不思議なことにこの曲は、地球の向こう側のブラジルのグワラサイ新生農場に運ばれ、私の知らない間に根をおろし、現在でも毎年クリスマスに演じられています。この曲はいつの間にか、私を離れて、独り歩きを始めました。

日時 1997年 1月 6日(月) 午後 2時 〜 4時

場所 ナザレ修女院 集会室

演目 「イエスさまのおたんじょう」(20分)〔第二回〕
「フルート、ピアノ演奏」  (60分)
お茶の会         (30分)

ナザレ修女会(聖公会)と、グワラサイ新生農場とは、深い関係があります。車椅子フルート演奏者、小林治子さんも関係者です。


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会 員 消 息

遠藤正昭 氏

ドイツ駐在会員のマサアキ氏には、この年末に一時帰国されます。そのついでに23日の「拡大幹事会atモモ」にも参加なさるとのこと。本場仕込みの“ビール腹”と云う代物を御覧になりたい方はどうぞ。

松本 厚 氏

スイスより編集部にFAXをいただきました。以下に要約。
「私は第41回から第50回まで(うち2回休み)野尻学荘の参加した者です。今年の1月よりスイスのチューリッヒにおります。
なお60回記念誌の中で気が付いたことを。
第45回には私はアプレンティスとして参加しましたが、アプレンティスの名前が載っていません。
はっきりとは覚えてませんが50回のディレクターは毛利氏では?
ご指摘ありがとうございます

富岡正男 氏

氏が編曲された子ども讃美歌「パラパラおちる」が、この程カナダ合同教会の編集した新しい讃美歌集(1996年版)の第309番に収録されました。題名は“ParaPara Pitter Pat”です。とても可愛らしい英詞になっているとの事。おめでとうございます

神保伊和雄氏

“ぎゃらりぃ神保”のオープン記念企画「鈴木靖将展」盛況の内に終了。展覧会、パーティーには学荘関係者を始めとして多くの方々が訪れ、日頃の氏の人徳が伺える2週間でした。今後も益々のご発展を。


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栗田の編集後記

 アドベントクランツに あかりががつくとかみのこイエスさまの おたんじょうが ちかくなる

 私の長男が幼稚園でうたっていた歌です。
 指導の先生は「つくったのはね、富岡正男さんといってね
 とってもおもしろいオジイチャンなんだよ」と言っていました。

 わが町のクリスマスツリーは今年少し仲間が増えました。
 小学校の大きなツリー。
 お隣りさんの庭の小さなツリー。(それでも3メートルはあるよ)
 その先の家の玄関に今年からツリーが飾られています。
 坂の家の2階からは、小さなスター。
 坂の上の教会は、裏庭にも大きなツリーが初参加。
 静かな町を、静かに飾ってくれています。

 ほかの家にも小さなイルミネーション。
 競うわけでもなく、妬むわけでもなく、ただ静かに輝いています。

  ありがとう。
  今年も楽しい家路です。

PS
 オポンが園長先生をなさっていた幼稚園で、今年次男が
 クリスマスの会を礼拝堂で迎えます。
 降誕劇の役はなーに?
 え? 劇には出なくて献金を集める係り?
 そうですか。
 それも大切なことですよね。
 がんばりなさいね。

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