野尻学荘々長 殖栗信夫
(一)野尻湖と野尻学荘
野尻湖は長野県と新潟県の県境に位置しています。
信濃路の果て、「しなのの尻・・のじり」の意からこの名前が付いた言います。事実ここの地名を古くは「信濃尻村」と呼んでいました。周囲を北信五岳(妙高山・黒姫山・戸隠・飯綱・斑尾)に囲まれて、標高654メ−トル、湖岸線の延長13.6キロメ−トル、最深々度38.5メ−トル、岸辺を比較的急峻にせまる緑に守られた美しい湖です。最近はバス釣りの名所としてご存知の方も多いと思います。この湖の最も奥まった湖畔にある東京YMCA野尻キャンプは1932(昭和七)年に開設され、春から秋にかけて毎年延べ約7千人の青少年が利用する野外活動施設です。水辺に面して約35,000平方メートルの木立の中に、簡素な小舎が点在する分散型の施設キャンプ場なのですが、この施設の中心となっている少年長期キャンプが「野尻学荘」です。
故小林弥太郎先生によって創設された当初は五週間でしたが、現在は二週間(14泊15日)で、中学生と高校生の男子を対象にしたキリスト教主義の教育キャンプです。
今年は第63回をかぞえ、この分野での我が国最古の歴史と伝統を自負しています。
(二) このキャンプの考え方
野尻学荘は恵まれた豊かな自然環境のなかで簡素な共同生活を送るために、指導者とプログラムと施設が教育的な配慮によって整えられている「組織キャンプ」の典型です。例えば、トレーニングを積んだリーダー達がいつも共に活動していますし、二週間の生活を支える毎日の食事は、専門(プロ)のキッチンクル−によって栄養と衛生の管理がされて提供されています。(ただし、期間中に小グル−プで出かける泊まりがけの小旅行=アウテイングでは飯盒での自炊ですが)また、ドクタ−も常駐するなど健康と安全面は基礎的なこととして確保されています。少年達が宿泊する施設は森の中に点在する木造のキャビンですが、どれも7〜8人のボ−イズが一人のキャビンカウンセラ−と過ごす、いわゆる「グル−プワ−ク」に適した設計で、二段ベットのある清潔な小舎です。
キャビンは6棟12室あり、これらの全てが開設当初から数えて3代目の建築物です。
このキャビンには電気や水道はきていません。いまも灯油ランプで生活するのですが、少年たちは自然にランプの周りに集まり話し合いを始めますし、あの灯火は何故か私たちを素直な心にさせてくれます。
水やトイレの不便さも、都会生活ではあたりまえになり見えにくくなっている「恵み」を気付かせてくれるのです。
このような環境のなかで営まれる野尻学荘は次のような教育目的を持っています。(1)キリスト教的人生観の確立
(2)社会生活への適応
(3)健康、安全生活への習慣形成
(4)高い水準に於ける生活実践
(5)興味活動の動機付け及び情緒性毎年、その時々の少年達の置かれている社会的な状況を勘案して(今年はナイフをめぐる諸問題であるとか)指導の強調点が定められていますが、上記の5項目はこのキャンプの創設当初から変わることのなかった最も基本的な部分です。
(三)楽しくなければキャンプじゃない
このように紹介してくると、野尻学荘はなにか堅苦しい学校の様だと誤解されるかもしれません。
確かにそのような要素はあるのですが、活動の中心をボ−イズ各人の興味においているので、ここでの日々は「楽しさ」に裏付けられているのが特徴です。
キャビンの仲間とのグループ活動も、また個人で選択して新しい知識や技術を身につける「実修」のプログラムも、すべてが少年達の興味と関心から出発出来るように配慮されています。もう一つだけこのキャンプの特徴をあげるとすれば、個人の自由時間が多いという事でしょう。このため、少年達はここでの「生活」そのものをゆったりと楽しむことが出来ています。
キャンプの中盤には一泊で登山にでかけます。また後半には湖の島から四キロメートルもの遠泳をしますが、このような特別プログラムも強制されて参加するのであれば、そこから彼等が得るものは少ないでしょう。
反対に各人が仲間と共に主体的に過ごしている、真の意味での楽しい生活の中で自ら参加を決めるこのようなプログラムの体験は、彼等の人生にとって大切な様々なものを発見し、生涯の友人に出会う契機が豊富に備えられているのです。昨年のキャンプの後に受け取った中学一年生の母親からの葉書には、「…野尻学荘初参加だったわが息子は帰宅第一声が、アァ学荘に帰りテェ! でした。…」とありました。
キャンプがひとときのお祭りさわぎではなく、参加者がいつもそのキャンプに帰りたくなるような、「生活」の体験でありたいと思うのです。
(四)参加者からの評価としての継続率
さて先にも述べましたが、野尻学荘は我が国で継続的に開催されている最も古くからの組織キャンプです。
このキャンプには1932(昭和七)年の第1回から昨年の第62回までの参加者全員(残念なことに昭和十七〜十八年の第10〜11回は、戦時混乱のため記録が残っていません)が記録されていて、そこからいくつかの興味深い事が読みとれます。第1回はボーイズ28人とリーダー17人の総勢45人で始められたのですが、その後戦時中の数年を除いて毎年回を重ねて参加者の総数は2,132人を数えます。
ただし繰り返し参加する者がいますから、延べ人数では5,047人になります。
60年以上続いているキャンプですので、OBを父親や祖父に持つ三世代目の参加者という例もあります。
繰り返し参加する者の割合、すなわち毎年の継続率は指導者へのボーイズ側からの評価点のようなものです。本人の体験が楽しくなければ二度目の参加はありませんし、送り出す保護者の直截な評価の現れでもあり重要です。
野尻学荘の継続参加率は平均57%ですので、半数以上が参加経験者で占められていることになります。
この傾向は10年ごとの平均で見てみても大きくは変わりません。すなわち、いずれの時代も51%から65%の継続参加率を記録しています。
(五)繰り返し参加するうちに
見方を変えて個人の累計参加回数で見てみると、総参加者中2回(2年)以上参加した者は下記の一覧数字の通り997人で47%、約半数はリピーターであったことが解ります。[野尻学荘継続参加回数の記録=1932〜1997]
2回以上参加者997人(全参加者数の47%)
3回以上参加者581人(〃 27%)
5回以上参加者251人(〃 12%)
7回以上参加者147人(〃7%)
10回以上参加者 60人(〃 3%)中学生と高校生を対象にしていますから、中学一年生から毎年休まずに参加したとしても、ボーイズとしては6回しか参加できません。従ってこの表の7回以上に入っているのは、みなリーダーとして育って、続けて参加した人たちです。
また、10回以上の人は社会人になってもリーダーとして指導を続けた人々です。
この表にはあげませんでしたが、20回以上参加は8人、最も長く参加した指導者は32回の記録があることも、このキャンプが一貫した指導内容を維持できた一つの要素だと思っています。この例に見るように、キャンプでは楽しい生活に魅せられて一年また一年と繰り返し参加するうちに、参加者から指導者に、教えられる人から教える人に、面倒を見て貰う側から他のために奉仕する側に変わっていくのです。
ごく自然に起きているように見えるこの変化は、しかし、個の「成長」というキャンプ活動の目的そのものであると思っています。
筆者紹介うえくり のぶお
1945年生まれ。3才の時に両親に連れられて山中湖に行ったのが組織的なキャンプに参加した最初の思い出。中学1年生の時からは毎夏少年長期キャンプ野尻学荘に参加。その後国内と米国でキャンプリーダーの経験の後、東京YMCA主事としてキャンプデイレクターを25年務める。現在野尻学荘々長。キャンプネームは小太郎。