野尻学荘クラブニュースINDEXに戻るストージ長老教会・副牧師、日下部 拓
学校の子供たちが荒れている様子が頻繁に報道される。記事を読んだりニュースを見たりする度に、胸が痛む。アメリカでも日本でも、学校が荒れている。生徒が他の生徒を、教師を、何も縁のない通行人をナイフで脅す、切りつける、刺す、銃で打つ。そんな恐ろしいことが、珍しくなくなってきてしまったようだ。人間は、同じようなことを繰り返し繰り返し何度も経験していると、それが苦痛や不快感を伴うものであっても次第に馴れてしまうというが、こんな恐ろしいことには馴れっこになりたくない。数年前から突然、このような事が始まった訳ではない。種が蒔かれ芽が出ても、そこに栄養に満ちた土壌があるから、小さな種が大きな社会問題にまで育ってしまった、というのが真相だろうに、茶の間のテレビに向かって「昔は良かった。それにしても最近の子供は…」と嘆いてみても、それは興味本意の無責任な批判でしかない。ナイフを振り回して事件を起こす子供を責めてみても、本当の問題解決にはならない。ナイフで問題を解決できると思う子供は、加害者であると同時に実は被害者でもある。子供に切出しナイフや彫刻刀を使わせない親や教師が増えている。子供が誤って指を刺したり手を切ったり、また他の子にケガを負わせたりしたら大変だから、というのが理由だ。確かに手もとの定まらない子供に危険な刃物など持たせさえしなければ、自分や他人を傷つけて「迷惑をかける」ことは完全に防止できる訳だ。少なくとも、その時だけは。これは事故を起こさず上手に子供を管理する、大人の都合を優先させる立場に立った考え方だろう。確かに子供は事故を起こさず、従って当然ケガもしないが、同時に刃物を安全に扱う知識や技術も身につかないことになる。
ところで危ないものの管理の仕方、安全な使い方を、実際に危ない刃物を手に持たせて覚えさせることも、実はできる。もちろん指を切って血を出すことがある。
いく針か縫うようなケガをする子がいるかも知れない。けれども子供は、大人が「自分に向かって刃物を使ってはいけない」とか「刃物の進む先に自分の手を置いてはならない」とか「刃物でふざけてはいけない」などと何百回いうよりも、一度手を滑らせて自分の指から血を流してみれば、二度と同じ過ちは繰り返すまい、と注意深くなる。「学習」と心理学では呼ぶが、私たちは実際にやってみて失敗を通して初めて本当に身につく生きた知識を「学び習う」ことができる。何よりも「刃物で刺すとすごく痛くて血もたくさん出て、治るのに何日もかかる」という当たり前のことも生きた知識となって身につくから、自分の身を守ると同時に、他人を傷つけることがどれほどの痛みを与えることか、想像することも出来るようになる。
ケガをさせたくない、失敗をさせたくない、と思う余り、却って大人は子供から生きた学習の機会を奪ってしまったのではないか。頻発するナイフ事件の原因の一端は、痛みが理解できない子供に育ててしまった世の大人にも責任があるのではないか…ところで『為すことによって学ぶ』ことを生活のすべての面に取り入れ、子供の興味を引き出し、学習(勉強に限らない)への動機付けをし、主体性を持って生活できる人に育てたい、という祈りによって運営されている中学・高校生の男子だけを集めた長期少年キャンプが日本にある。東京キリスト教青年会(YMCA)の『野尻学荘』(のじり・がくそう)という、十五日間の長期キャンプだ。開設された一九三二年当時の日本の青少年の全人的な成長を真剣に祈り求めた先駆者、小林弥太郎という東京・日本橋の砂糖問屋の旦那が巨額の私財を投じて始めたキャンプだ。小林氏はコロンビア大学でジョン・デューイに師事し、実践主義の当時としては進歩的な教育を学んで帰国し、東京YMCAの少年事業に心血を注いだ。小林氏の引退後も、野尻学荘の『為すことによって学ぶ』よき伝統は、今日まで継承されてきている。
信越国境に近い野尻湖畔で、少年たちはキリストの福音に触れるだけでなく、実際に信仰を持って生活している大学生や社会人のリーダーと共に、少人数のグループで小さなキャビンに分かれてランプの光で生活し、水泳、ヨットやボート、カヌー、カヤック、アーチェリー、バスケット・ボールなどのスポーツや、様々な楽器を実際に鳴らして楽しむ音楽、土を捏ねて自作の窯で素焼きにする陶芸、絵画、彫刻やクラフト等々、興味のある活動を楽しみ、キャビンごとにテントを担いで近くの妙高山や斑尾山に登山したり、隊列を組んで野尻湖横断の遠泳に挑戦したりする。
自由と規律、個人とグループ、楽しさとまじめさ、遊びと労働のバランスが取れた生活をすることで、本当に身につく「学習」をする、というのがモットーだ。そして生活のどの部分を切り取ってみても、そこには神の愛、一人一人の人格を尊重するイエス・キリストの福音に根づいた隣人愛と、経験から学ぶ実践主義とが、金太郎アメのように出て来る。子供からナイフを取り上げることによって、子供が怪我をしないように大人の都合で子供を管理するのとは逆に、少々指を突いたり切ったりしても正しくナイフを使える子供を育てる式の実践主義的教育方針だ。私はこの野尻学荘で、悪戯小僧としてキャンプ生活を楽しむ事を振り出しに、奉仕する喜びを知り、生涯の友人たちと出会い、イエス・キリストを受け入れる決心をし、自身がディレクターとして次世代にこの素晴らしいキャンプを伝える仕事を生き甲斐とし、さらに牧会への召命に気付かされた、いわば私にとって心の故郷のようなキャンプでもある。中には父子二代目、あるいは三代目の参加者も少なくない。海外からの駐在員子弟の参加も増えてきている。また登校拒否の子もいれば自閉症の子が来ることもあるし、身体障害を持った子もいる。先生をぶん殴って退学させられた非行少年もいた。照れ屋もいれば、泣き虫もいるし、大将になって威張ってる奴も中にはいる。
誰もが、勉強が出来ても出来なくても、水泳が上手でも金槌でも、体が丈夫でも障害を持っていても、一人一人かけがいのない命を持っている事を、神に等しく愛されていることを、遊んだり喧嘩したり仲直りしたり、一緒に大失敗したりしながら学んでいくところだ。同時に少年キャンプ野尻学荘は、キリスト教の価値観に基づいた生活を基盤とする『為すことによって学ぶ』共同体である点で、教会と似た側面を持つ。大人が信仰を実践する場でもあるからだ。聖書に、『行いが伴わないなら、信仰はそれだけでは死んだものです』(ヤコブの手紙 ニ・一七b)とあるように、ともすると知識偏重や自己中心的な安心感の為の信仰に陥りやすい大人たちにとって、野尻学荘は自分たちの生き方を少年達の前に晒し出して、一緒に悩んだり笑ったりしながらキリスト者としての生き方を示す場を与えている。
『イエスは十二人を呼び集め、あらゆる悪霊に打ち勝ち、病気をいやす力と権能をお授けになった。そして神の国を宣べ伝え、病人をいやすために遣わすにあたり、次のように言われた。「旅には何も持って行ってはならない。杖も袋もパンも金も持ってはならない。下着も二枚持ってはならない…」』。
(ルカ福音書 九・一〜三)現代風に言うならば、イエスはリクルートした後、福音の伝道と癒しのベーシック・トレーニングを済ませたお弟子たちに、実技セッションに対するオリエンテーションをして、二人一組にして実修に送り出した、ということになろう。つまりイエスはお弟子たちを将来「使徒」と呼ばれる教会の中心的リーダーにふさわしい人間に育て上るために、彼らを社会から隔離して理想的な無菌状態の教室環境を整えたりはせず、むしろ実際にお弟子たちを社会に出して伝道をさせることによって、本当に彼らの血となり肉となる学習の場を与えたのだ。「失敗しても構わない。そこから生きた教訓を学んで来なさい」と杖一本すら持たせず手ぶらで旅に送り出したのだ。お弟子たちが、自分の能力や意志によるのではなく、神の霊に導かれて初めて福音の伝道が可能である事を、彼らに失敗や苦難を通して学ばせようとされたのだった。イエスが実に合理的な、そして優れた教師であった事がうかがえる。さて、私たちはどうか。
失敗を、面目を失うことを恐れる余り、生きる目的や、自分が今生かされていることの意味など考えることもなく、穏便な毎日を過ごせれば良い、と鳴かず飛ばずのぬるま湯のような生活を送っていることはないか。お茶の間のテレビから今日も流れてくる「最近の荒れた学校」のニュースを見て「昔は良かった。それにしても最近の子供は…」と嘆くのと同じ無責任な傍観者の批評で誤魔化し、知らぬ顔の半兵衛を決め込んでいないか。失敗してもいい。むしろ積極的に失敗から学べるような、切れば痛んで血の出るような、命の通った瑞々しい志を、生きる目的を持っていたいものだ。間もなく学校は夏休みに入る。信越国境の湖畔では、今年も少年たちが為すことから学ぶ季節がやって来る。第六三回野尻学荘は八月六〜二十日に開かれる。世の大人たちは生きる目的をしっかりと持って、かつ少年たちと同じく生きた経験から学び続けてほしい、と切に願う。失敗を恐れてはならない。
(くさかべたく・第36回野尻学荘にボーイズとして参加、以後昨年の第62回のチャプレンまで延べ9回の参加。本稿は同氏が現在牧会する米国カリフォルニア州 Sturge Presbyterian Church の月報「パストラル・メッセージ」1998年5月号に掲載されたものを、同氏のご了承を得て転載させていただきました)
なお、学荘クラブでは今年も兄弟参加者への奨学金支給、リーダー養成費の補助(新人プレキャンプ交通費)などで支援しています。また昨年から始めた学荘期間中の「学荘だより」を刻々(といっても2日に一度)と伝えるEメール&FAXサービスのご好評に応え、今年はキツツキ通信ホームページ(http://www.tokyobunka.ac.jp/ngc/)にもアップロードの予定です。今年の夏はインターネットで学荘の生活にアクセスしてください。
〔なお掲出については東京文化学園の森本晴生氏(本会代表幹事)と石井宏実氏(本会々員)の並々ならぬご協力により実現したものです。記して御礼申し上げます〕
今年の学荘は8月6日からの2週間。目下ボーイズの募集、リーダー会での諸準備と大詰めを迎えました。打ち合わせ会は7月20日(祝)ですからまだ今からでも参加申込みは間に合います。どうぞご紹介下さい。
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笈川一さんは第1回、第2回野尻学荘に登山のリーダーとして参加。その後むかでワイズの設立やカナダエルフィンストンキャンパー交換の推進役、また小林弥太郎募金(現在は終了)委員など一貫して学荘を支援されました。3人のご令息(一弥、二郎、光郎の各氏)を学荘に送り、そのお子さん達(一氏のお孫さん)も既に学荘から巣立っています。
故人のご知友で同誌をご希望の方はクラブ幹事までご一報頂ければお送り致します。
笈川一氏記念号をむかでY´Sが発行
元本会々員で第1回野尻学荘のリーダーであった故笈川一さんの記念号がむかでワイズメンスクラブから発行されました。これは同氏の召天日(1997年6月12日)の一周年に、ご関係の方々の思いでの文章を集めて編集されたものです。
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特に1993年からはその研究成果を「紀要」にまとめて発行して来ましたが、この程通巻第4号−1997〜1998が出されました。
クラブ会員の皆様にはこのニュースに同封してお送り致しました。現役リーダー達の日頃の活動の一端をお読みとりくださり、種々ご助言やご感想などをお寄せ下されば彼等への大きな励みになる事と思います。ご連絡は下記クラブ幹事宛お送り下さればお取り次ぎいたします。
なお、このサービスは野尻学荘クラブの会員に限らせて頂いております。
E-mail
野尻学荘のリーダー会は、毎年秋から春にかけてのシーズンオフに研究会活動を続けています。これは1965(昭40)年からリーダー自身の自主的な活動としてスタート。当時やや稀薄になっていた学荘の伝統的な教育理念やその方法などの掘り起こしを目指しました。また折りからキャンプ場使用料改定による学荘参加費の高騰に対して様々な角度から検討を加えた「報告書」を公にするなどして来ました。
kotarou.uekuri@nifty.ne.jp :殖栗信夫
前号のクラブニュース(1998年4月発行・第62号)は拡大配布号として、現在住所の判っている全ての学荘OB800人にお送りしました。その結果約100通は転居先不明で戻って来ましたが、たくさんの方々から懐かしいお便りアリガトウ!のご返信を頂き大変嬉しい事でした。そのうち現在10名の新しい方々がクラブ員として加わってくださいました。お名前を次頁にご紹介し歓迎します。(順不同・敬称略)
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氏 名 生年月日 初参加回数 延参加回数 現住所 山本待平 1938・ 3. 7 16 3 杉並区 城井廣邦 1945. 5.16 29 4 町田市 戸村裕実 1951. 1.17 32 1 葛飾区 渡辺愛也 1972. 2.16 49 8 世田谷区 横山祐介 1963. 2.19 40 7 世田谷区 宮田正子 ヒミツ 1. 5 28 5 鎌倉市 (マザー 旧姓菊池)) 竹内 徹 1965.10.22 43 9 国分寺市 岩崎清信 1966.12.21 44 2 大田区 夏目宣俊 1964. 4. 2 42 3 姫路市 島峰達夫 1956.11. 8 34 6 中央区 上原一俊 1971. 7.19 50 1 鹿児島市
今年のシーズンに合わせてオメガのセンターボードを新調・寄付されました。なお同氏よりのセンターボードご寄付は2回目!(2度ある事は…?!)
山川國益氏
ご親籍の方から依頼されて碑文を揮毫。7月5日NHKニュースの「黒姫探訪」で紹介される。
殖栗信夫氏
6月8日初孫男子ご誕生!12年後の学荘参加予約を済ませる!?
冨岡正男氏
今年も音楽顧問として学荘にフル参加に張り切る同氏は山本待平氏(本会々員)が理事を務める東京製菓学校の校歌を作曲されました。
笈川光郎氏
7月1日、東京海上火災から株式会社東管に職場が変わられました。
村井 純氏
7月16日のYMCA午餐会に「インターネットに期待される役割と課題」と題して講演。
学荘ML
慶応義塾に潜む著作権学者塩澤一洋氏により久々に復旧。将来は自前のML(メーリングリスト)を持つべきなのですが差し当たって塩澤氏にしっかりとおすがりいたしますです。
両角幸治氏
お父上の両角修治様には5月30日ご逝去されました。謹んで哀悼の意を表します
長野一宇氏
コタロオ談「まさに快挙と申せましょう」
コタロオ談「本人が言うのもナンですがまさに快挙と申せましょう」
本人談「…とはいえ甘いものではありませんでした」(座布団2枚!)
ところで近年同氏は野尻周辺のおいしい蕎麦屋開拓に力を注がれ、その踏破範囲は藤本孝人翁をして「大変刺激になります」ほどです。
またご自分でも蕎麦打ちに挑戦されているそうです。請うご期待!
お問合せは 03-3293-1925 YMCA賛助会事務局まで。
gakusou@[131.113.204.68]にアクセスを。多謝。
訃 報
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高杉 裕氏
「大丈夫ですよ。この私が責任持って付き添いますから」
「おーい!良く聞け。おじさんが右手を上げたらみんなも右手を上げるんだぞ。手を上げている間はオシャベリはボツ。おじさんの目を見て話を聞くこと。これから自転車の順番を決める。そして1列になって走る。前の奴に並んでも抜かしてもいけない。何故なら歩道の人にぶつかりやすくて危険だからだ。何かあったら大声で私を呼ぶ。そうだな、私をリーダーと呼んでもらおう(段々気分が高揚してくる私)」かくして自転車部隊は心底心配そうなママをおいて出発。女の子は先頭。ウチの息子はしんがり。西が原、中里、田端、本駒込…。我ながら旨いルートだ。神社から少し離れた所に駐輪。お富士さんの縁日とはこの辺ではメジャーなイベントで多くの夜店と人がでる。それゆえに地元の警察やPTAのパトロールも出動するほどのシロモノなのである。
「これからバディーを組む。バディーは常に2人で行動。」
「ねえ、ビール買ってもいい?」
先日小3の息子が帰ってくるなり「これからお祭りにいく」
「ほへ?どこの?」
「知らない」
「それじゃ分らないじゃないの」
そこへご学友さんから電話。親としては根ほりはほり聞き出す。そして判明した事は、隣の文京区にある通称“お富士さん”なる神社の縁日に行きたいという事である。どうやら級友3人さんで行くらしい。う〜ん、もう暗くなるのに小3だけで行くのは保護者として受け入れられないぞえ。そこで私が付き添うことにする。集合の公園に自転車で到着。あれれ?ええーっと…、6人もいるじゃないの。女の子も1人いるね。K君のママが心配そうに立っている。
もっと心配そうになるママ。しかし総勢7名の自転車部隊はお富士さんまでの距離を考えるとつらいね。そこで回り道でも比較的安全なルートを考える。そしてガヤガヤ連中に大声で話す。
「知ってるよ、プールでやるもん」
「……知ってるならばよろしい。迷子になったらここに戻ること。誰かが見えなくなったら全員でここに戻るからね。え?ここが分らない?地形を読みながら歩きなさい」(なんだかスキルの無いリーダーである)
ともかく全員一丸になって縁日に突入。射的に氷に金魚すくいにお化け屋敷にアレやコレやに…。みんな楽しそうだ。私も楽しい。おっ、ビールを売っているぞ。
「ダメ!」
う〜ん、正しい判断ができるボーイズで嬉しいぞ!?。たくさんの夜店を2巡したところで帰ることにする。
「面白かった?」
一同「ウン!」
リーダー思いの子供たちである。
「それでは1人づつ家の場所を言いなさい。え?巣鴨?」
しまった、越境がいたか(ウチもそうなのだが)。なにしろココがドコだか分らない連中である。再び1連隊ぞろぞろと旅を続ける。私も子供の家を知らないのだから呑気なものである。
「この辺知ってる?」
「知らない」
それでも何とか配達しながら旅は進むのであった。最後に出発地点近くの女の子の家にたどりつき配達完了。私は妙な男女同権主義者ではないので女の子は最初にすべきだと確信するのだが、ルートの都合で最後になってしまった。申し訳なし。
くやしいので縁日を後にするときに言ったものである。
「さて紳士諸君。我々は紳士であるからして女の子の安全を最優先すべきであーる。
ゆえに最初に送るべきであーる。しかるにルートを検討した結果まことに断腸の思いであるが最後になってしまう。しかし紳士諸君、これだけは覚えていておいてほしい。女の子は大切にしなさい。それが男子たる者の誇りであるのだから」なんだか説教がましいリーダーであったが、おそらくリーダーが一番楽しんでいたと思うプログラムではあった、ガハハハ。
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