頭脳パン物語


-1- 幻影

 東京を少々離れて、山村風景と呼べるような景観の場所まで足を延ばすと、いまだに「頭脳パン」の看板を掲げた食料品店を見かけることがある。
 懐かしい 「頭脳パン」 は(確か…)赤と白で商品名が印刷されたポリ袋に包装された、切り取ったような四角い柔らかめのパン。パンの表面には溶かした砂糖が塗ってあったようにも思うのだが、記憶は定かではない。
 パンそのものは何の変哲もない、恐らく今となってははっきり言って旨くも何ともないであろう、古臭い本当に只のパンでしかないのだが…しかし、入手が困難となった現在では、あの味は懐かしさ以上の憧れとなって増幅され、舌の上に、脳裏に蘇って来る。

 信州では「中島の頭脳パン」であるのだが、この「頭脳パン」と言う名称は登録された商標ではなく、数多全国でそれぞれ作られていたもののようなのだ。
 “ようなのだ”と、些か心許ない言い方をしたのは、「中島」以外の屋号を冠せた「頭脳パン」がある、または食べたことがあると言う話を幾つか聞いたことがあるが、確認はしていないからなのである。
 「頭脳パン」の正体は、子供達の学力向上を唱って、脳細胞の発達に良いとされる各種ビタミン等を配合して焼き上げたパンなのだ。
 加工食品に栄養素等を添加物として使用し、「特殊栄養食品」として声高らかに販売することが大流行した時代があった。時は昭和も中盤。敗戦で叩きのめされた人々と経済が隣国の内紛で活気を取り戻し、力一杯頑張り始めた時代であった。
 配合された栄養素によって頭脳明晰となり、当時の「受験戦争」に勝利した子供がどの位いたのかは今となっては分からない。
 現代、平成の御世でもこの手の商品は「機能性食品」等というカテゴリーでしぶとく生き残っているが、そのルーツは知らぬ者はいない“一粒300m”の「グリコ」に見ることが出来る。

 「頭脳パン」は「牛乳パン」や「メロンパン」、あるいは「三色パン」等と共に時の彼方に消え去ってしまったのだろうか。

-2- 探索

 実はこの「頭脳パン」は時の流れを越えて現在でも作り続けられていると言うのだ。噂では、特定地域においてはいまだに、この「頭脳パン」が店頭の一等地に並べられ、販売されていると言う。

 東京から離れる度に、道路沿いの萬屋の看板に「頭脳パン」の文字を探している自分に気がついて、一人苦笑いをすることがある。
 求める記号を発見すると、喜び勇んで車を停め、店に飛び込み、昭和30年代が凍結されてしまったような店内と、その風景に恐ろしいほど似合いすぎる店番--老婆である場合が多い--に尋ねる。殆どの場合は手入れを忘れられペイントもかすれ果てた看板と同様に「頭脳パン」そのものも店の持ち主の記憶からは消え去っているのだが…

 一度だけ意識せずに入った国道脇の食料品店で、全く予想もせずに「頭脳パン」を手にいれたことがある。あれはまだ10年は経っていない程度の過去のことだった。
 周囲の景色はちゃんと覚えてはいるのだが、信州の牟礼であったか、富士の近辺だったか、あるいは奥多摩の山間、はたまた群馬の寒村だったか…残念なことにあの場所ははっきりと特定できないのだ。その時は特に感激もなく、『ああ、「頭脳パン」か、懐かしいな』等とエラく希薄な感想を持っただけだった。いまにして思えば、あれが現実の「頭脳パン」を目にした最後だったのだが…

 滅び、消え去って行くものに対する郷愁は、その物だけではなく、辺りを取り巻く全ての思い出を包括し、美しさを倍加させながら育って行く。それが現実の掌の中に取り込めない物であればさらにその想いは大きく膨らんでしまう。
 「頭脳パン」の看板を掲げた村の万屋の主人や客達にとっては、看板に書かれた文字はすでに何十年もの間そこに存在し、完全に風景に同化し、その一部に融け込み、内容には意味のない単なる記号と化してしまっているのだろう。
 あの「頭脳パン」は何処に…

-3- 興亡

 信州を旅すると、辻々の看板やトラック、商用車の車体に書かれた屋号、商号等に独特な字体の文字を多く目にする。
 言葉で説明するのは難しいのだが、敢えて文章化するなら「相撲の番付文字と勘亭流の中間」のようなイメージを持った文字である。基本的には揮毫の文字であり、独特な筆使いは力強く粋な印象を持つが、相撲文字ほど荒々しくはなく、勘亭流ほどの洗練された流麗さではない。あくまでも情報伝達のための実用文字であり、当然不要な装飾は施されてはおらず、瞬間確認性に優れた文字である。
 しかし、中小の看板類は殆どこの文字で書かれ、結果、同一字体の文字が町中大量に配置される事になるので個々の看板等の内容の印象は極めて希薄となってしまう傾向があることも確かだ。

 看板専用のこの文字は長野県内でも東から東北部にかけて広く分布するが、不思議なことに、地元の事情通や博識者に尋ねても出所や歴史はいま一つ分からない。と言うよりも地元の人々にとってはあまりに当り前すぎる事象であって、この文字が例えば碓井峠よりも東側、あるいは大町近辺より北側には存在しないと言う事実をも、全く気には止めてはいないのだ。(信州南、西部へは余り行く機会がないので資料が少ない)
 しかし、ご他聞に漏れず、最近では地方文化の大都市圏との均質化によってこの字体も徐々に減りつつあるのは事実ではある。
 「地方の時代」等と言われて久しいが、キーワードは単にキーワードでしかなかったのか…懐かしの「頭脳パン」とともに、看板文字のような隠れた地方文化もまた、ローカルであるが故に全国均一化の波に飲まれてしまうのだろうか。

   未完…続く、かもしんない。


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