2001年の12月に都合が付けられたので、カナダの友人宅でクリスマスを過ごしてきました。日本でいう「クリスマス」とは少し状況が違っていました。
この友人宅に着いたのは21日の午後で、26日の朝まで滞在しました。小学校3年生の息子がいて、クリスマスまで「良い子にしていないとサンタが来てくれないよ」と言って子どもにいい子にさせようとしていたので、日本と同じだと思いました。彼は、日本に来たこともあり、日本人を多くホームステイで泊めています。
家々の玄関前にはクリスマス・リースが飾ってあります。
日本のものよりも地味です。
私は個人的な興味があって、「24日の夜は教会に行きたいが、連れて行ってくれますか?」と頼んでみました。公共交通機関がないので、一人で行くと1時間以上歩くか、タクシーを使うことになります。しかし、そのような交通事情なので、わりと親切に車で送り迎えをしてくれます。「自分は行かないが、ホッケー仲間が行くはずだから、彼に頼んでみよう。」と電話をしてくれ、その家族に送り迎えを頼んでくれました。
車庫にもクリスマス・リースがあります。
日本で松飾りを見るように、クリスマス・リースに出会います。
24日は5時半から夕食になり、6時半頃に車で教会に連れて行ってもらい、7時から1時間ほどの音楽礼拝に出席しました。牧師さんが自分でピアノを弾いていたのは始めての経験でした。8時に礼拝が終わり、8時半頃に一緒に戻ってみると、10人ほどが集まっていて、その後に加わった人たちを会わせると20人ほどになりました。
メンバーは、友人と家族、友人の奥さんの妹家族、教会に連れて行ってくれた家族、勤務先の1家族、中国人の友人、カナダの大学に来ている日本人学生アキラ(数年前に交換留学でこの家に6か月ほど泊まっていた)、それに私です。皆、夕食を済ませていて、飲み物の他には鶏の唐揚げ、チーズとクラッカー程度で、もっぱら話に興じていました。前にこの家に来たときに、夜7時からパーティーがあるというのに、午後5時半に夕食となったので、どうなることかと思ったら、パーティーでは飲み物しか出てこなかったという経験がありましたが、今回は少しは食べ物がありました。
サンタクロースは、玄関前にもいました。
煙突の上にサンタの飾りを乗せている家もありました。
途中で、「サンタがサンフランシスコにいる」という声がしたので、隣室のパソコンの所に行ってみると、サンタクロースのホームページがあり、サンタが金門橋の上をトナカイに引かれたソリで横切っていました。橋を渡るのではなく、橋の上空を橋に直角に横切っていました。そのうちにカナダに来る、と冗談を言っていました。
10時過ぎに子どもが寝ます。12時ごろ友人たちや、妹家族が帰ります。そのあと、子どもが寝ているのを確認してから、物入れや車庫の中から30個ぐらいを出してきました。クリスマス・プレゼントをクリスマス・ツリーのところに積み上げます。
プレゼントをツリーのところに積み上げます
この晩は、これで「お休みなさい」となりました。
25日の朝、8時頃子どもが起きると大騒ぎです。「サンタが来た」と叫んで家族を起こします。朝食を済ませると、妹家族がやってきて、9時頃からプレゼントを開けます。包装紙はベリベリ破って開きます。日本のように破らないように開くのではありません。そのせいか、包装紙はきれいな印刷ですが、紙は薄くてすぐ破れます。
プレゼントの包装紙をベリベリと破る息子
プレゼントは受け取る人がほしがっていた物をその人に気付かれないように買ってきておくのです。そして、開いてみたときに「とてもほしかった物で、嬉しい」とよろこびの声を上げます。
プレゼントの包装を破って中を見て喜ぶ子ども
中身はレゴでした。とてもほしがっていた物でした。
プレゼントを見て喜ぶ友人の奥さんと、のぞき込む子ども
友人の奥さんのお母さん(つまり、おばあ様)もプレゼントをもらいます。部屋の中から車のエンジンをかけられる遠隔操作の装置でした。カナダは寒いので、このような物が必要です。
包装紙を破って、中を見て笑い出したお祖母様
中国系の友人は小柄だったので、踏み台をプレゼントに渡されました。
プレゼントされた踏み台に乗って喜ぶ中国系の友人
私もTシャツ、カレンダーなどをサンタから、友人から、アキラからのプレゼントとしていただきました。
カナダのカエデの絵のあるTシャツをいただきました。
このように、サンタからのプレゼントの他に、家族同士だけでなく、親戚や友人にもプレゼントを贈り、贈られます。ですから、30個にもなるのです。
このあと、妹家族は自宅に戻り、夕方になるとまた現れました。その間に七面鳥をオーブンで焼いたり、夕食の準備をします。前夜に来た中国人の友人や、ホッケー仲間の家族も来て、6時から12人での夕食が始まりました。これがクリスマス・ディナーです。七面鳥があり、量が多く、大変がご馳走でした。9時頃に皆が帰り、ディナーが終わりました。