-4- 第252号 |
| 昭和52年10月11日 |
医学研究室から専門学校まで
医技25年をかえり見て
医療の発展と共に高まる技術水準
今年は学園創立50周年にあたる記念すべき年である。またこの学園に女子の新しい職業教育として我国はじめての検査技師の教育が始められてから早くも25年を迎えるに至った。
その当時には未だ検査技師という専門械はなく、医師の助手として簡単な検査を見様見まねで行っているに過ぎなかったが、医療の発展と紫に医寮の中での検査の必要性が高まりつつあった。臨床病理懇談会(項在の臨床病理学会の前身)に於てこのことが問題に取り上げられ、本格的な教育を受けた検査技師が専門職として行うべきであると云う進んだ意見が提唱されたのである。
当時の学園理事長であった故橋本克敏先生もそのメンバーの一員である関係から本学園にその教育が始められることとなったのである。しかし他に類のない新しい教育であろためその教育内容も手さぐりの状態で大変な苦心をされた様である。とも角米国の技師教育にならい実習の中でその教育を行うこととなりやはり臨床病理懇談会の一員である守屋博先生(現校長)が居られた国立東京第一病院(項在の国立病院医寮センター)で全面的に実習を安け入れられたのである。
何しろ学校には何の設備もなくただ一つ、門の右脇に木造平屋の小さな教室が用意され、そこには実験台が一台と流しが一個そなえられていたのみである。この何もない小さな教室に、新しい職業の意義を理解しこの道に生き甲斐を求め向学心にもえた面々が集まり学校(当時は医学研究室)が始められた。学校が始められたとはいうもののその数は僅か10名、その毎日は病院の検査の実務であり、講義を安けるのは登校日の土曜日のみであったから、各自で必要なことを勉強しなければならなかった。また病院での実習は全てが実際の検査材料そのものを扱うのであり正に検査室のメンバーの一員として仕事を担当して行ったのであるからその精神的な負担は大変なものであった。何でもやって見よう、何でも見てやろう、何でも教わろう、とその意欲によって一年間に得た知識技術は大したものである。
こうして新しい検査技師が誕生し道は開かれた。しかし社会的にはこの新しい専門職に対する認識は全くなくこの道の開拓はきびしく苛酷なものであり各自で努力し各自で勉強し乍ら先へ進んで行くより仕方がなかった。今この切り開かれた道を進んで行く後輩の者は先輩のこの苦労、努力をよくかみしめ、開かれた道を汚すことなくくずすことなく益々立派な道とする様心がけ、努力することを決意し、この記念すべき年を意義ある年とされる様に。25周年を契機とし今後の発展を心から祈るものである。
副校長 長岡 文
病院実習終了
三年生から後輩の皆さんへ
努力を惜しまず嫌虚な心を持とう
3年 鈴木 伸子
病院実習に限らず私が常に後輩りあなたたちに言いたいのは“礼儀正しく人に接すること”です。
実際に病院実習と云うものを通して大人の社会というものを見ると一足す一は二という様なわけにはいきません。何をするにも礼儀のきちんとしない人には大きな壁がのしかかってきます。少しくらい勉強ができてもどんなに検体をきちんと検査しても病院の中では教えて頂くという謙虚な心がなければそれが言葉態度に表われてきて結局は何も学ぶことが出来なくなってしまいます。礼儀なんて古い言葉かも知れませんが、これが何よりも私があなたたち後輩に残しておきたい言葉なのです。
3年 岡 由美子
医技での今までの二年半をふり返えって見ると、実習とレポートに追われた毎日でした。私の場合一つ一つを終えるだけで精一杯という状態で講義と実習、各課目を関連づけて勉強するという事がよく出来ていませんでした。そのため化学では原理がよく理解できなかったり頭でわかっていても実際やるとなるとできなかったりして自分でも情けなくなった事がたびたびありました。これはあとからやろうと思っていてもなかなか出来ることではないと思いますが何か一つやるたびに少しずつでも関連づけて勉強していったら良いと思います。
また実習でやった事はどんな小さなことでもメモしておくと意外なときに参考になる事があります。
3年 片絹 筒子
私にとって良き経験となったのはやはり一年間に及ぶ病院実習であろう。病院では半分学生、半分社会人と云う立場におかれ、はじめは非常に複雑な気分であった。実際働いている技師や病院へ来る患者に接して見ると、なんと人間は様々なヒトがいるものかとしみじみ感じた。そして人と人とのコンビネーションがいかに重要かがよくわかった.また実習中ただ手や足を動かしているだけで頭が活動していないことがあるがもっと何事にも興味を示しそれを吸収しようという意欲がなければいけないのだ、結局は自分の心持ち次第でどうにもなるのだ。自分で一生懸命努力すれば必ずその分得るものがあるはずである。
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