-1- 第337号 | 平成12年7月10日 |
本短期大学 発足50年にあたり
−真理を求める文化生活−
先に学園創立七十周年(1997)を各方面の方々のご脇力ご賛同のもとに心のこもった一連の記念行事を学園らしく行うことができたことは記憶に新しいところである。
そして今、学園教育の中枢の役割を荷なう本短期大学が50年という記念の年を迎えている。
本学の前身、女子経済専門学校は昭和3年(1928)、その使命を果たす役割をもって発足し、レベルの高い数少ない専門学校の一つであった。
創立当初、校長に就任した新渡戸稲造博士は「後光を放つ学園」「愛の教育」「親心」「人格の涵養」など教育精神を説き、創立者森本厚吉博士は「実行主義の教育」「役立つ教育」「役に立つ人の養成」など実践面を大切にした。両先生の教育理念と精神がみごとに調和して学園がめざす教育の指導星となり、今日まで継承されているところに私学らしい本学の特色がみられる。
理想の実現が原点
昭和23年、教育制度が改まり、それまでの東京女子経済専門学校を短期大学の名称で、認可手続きを経て、修業年限2か年、家政科として昭和25年に発足し、50年の歳月を経て今日を迎えた。
発足当初は「経済」を専門にした学校がなぜ「家政学」になる、という名称の理由を聞く人が多かったという。
森本静子元学長は「前身校の呼称の経済は家政学の主要学科“家庭経済”つまり“消費経済”の意で、短期大学の家政科は自然科学と社会料学の両面から研究したものでなくてはならない、という趣旨の説明をしている。(26年・本紙)本学が短期大学として発足した昭和25年当時、大学・短大における女子入学者の占める割合は、大学10%、短大41%であった。50年後の今日は大学36%、短大90%と推移して、女子の割合が激増し、社会が大きく変化してきたことがよみとれる。
専門学校から短期大学となり、50年という記念の節目に学園としても、今、創立当初の原点に思いを起こし、熱い教育魂を教育の根幹にすえて新たな出発を確認することは、誠に大きな意義がある。
学園にかかわる多くの方々が一体となって高い志と理想をもち、教育理念の実現に取り組む機会でありたいと願っている。
事為(な)さざれば成らず
平成も12年を迎えたが、学園の母胎である文化普及会が昭和という時代を創るのに果たした役割には偉大なものがあった。
我が国の文化生活向上に常に、先導的役割を果たし、啓蒙運動と進淑の精神で取り組み、その理想の中から生まれたのが本学園である。文化普及会のメンバーの一人、吉野作造博士は「路行かざれば到らず、事為さざれば成らず」と困難に対し勇気をもってトライすることの大切さをメッセージしている。
真理と自己発見
文化普及会の機関誌に『文化生活』があり、本学の発刊誌はその流れにある。
文化生活のこころは、自分のうちに自己を発見し、尊い人格の持ち主であることを自覚して創造の生活をする、また、個人および社会生活が新しい時代に適応するように改造して正義と人道の上に、新しい文化生活を実現することが務めである、と述べている。
本学の一貰したモットーは「真理は汝を自由にする」であり、不変の羅針盤である。このような理念の本学で学ぶ目的は、真理と自己発見にある。
真理を求めて、自由な境地を楽しむ大切さを学ぶことを期待している。自由のないところには創造の生活は生じないゆえんである。
心の糧を学ぶ機会
人間の目的は行動にある。勤しむ双手を実践し、活く頭、寛き心の3つのHで心の中に美徳を育て、人格をみがき高める日々が学園の望むところである。
50周年にあたり、教育の本流をゆく由緒ある本学から、心の糧になる、なにかを実感する機会の年になることを願っている。
短大50周年を迎えて
理事長 森本 晴生
短期大学として発足五十周年を迎えたことは誠に慶賀のいたりです。先達者をはじめ多くの方々の温かいご意志の賜ものと有難く感謝にたえません。さらにまた、大学新設の運びは新たな希望の実現であります。困難にうちかつ努力を重ねてきた学園のあゆみを体し、惜しみない尽力をします。ご援助が励みです。
役員人事
就任 監事 豊川 圭一 (新任6月1日付) 評議員 福田景三郎 (新仕4月1目付) 中本 孝 (新仕4月1日付) 長本 裕子 (新任4月1日付) 小林 弘志 (再任4月1日付) 退任 監事 守永 誠治 (辞任5月31日付)
石橋 裕氏
元短期大学教授・石橋裕氏は、去る4月21日逝去された。享年79才。
平林(葉山)靖子氏
元小学校教諭・平林靖子氏は去る6月25日逝去された。
謹んでご冥福をお祈りいたします。