-3- 第343号 | 平成14年7月5日 |
小学校 図工専科 森田愛子 先生
S46〜H13在職
画家
森田愛子先生は、東京文化の高校・短大卒業後、美術大学へ進学。昭和四五年、桃園寮(短大・医技学生が入っていました)の寮監補佐となり、三年間、学生達の面倒を見ていました。その後、小学校の図工の先生となり、素晴らしい実践をされました。指導を受けた子ども達は皆「図工 大好き」と言います。今春、絵に専念するため退職されました。
*長い間ありがとうございました
東京文化高等学校で黒沢信男先生に油絵をお習いし先生のお勧めで白日展に出品しました。入選が決まった日、夜遅く門をドンドンたたいて家まで知らせに来てくださいました。その感激を今も忘れません。
現在、白日展と日展に出品しています。第七八回白日展で「初冬・耶馬渓」に対し内閣総理大臣賞をいただきました。
最後になりましたが、長い間東京文化学園にお世話になりました。本当にありがとうございました。
小学校 藤田昇 先生
S48〜S56在職
日本児童文学者協会
事務局 事務局長
藤田先生は、六年間という短い在職期間でしたが、文芸・表現・学級づくり等の分野で感受性豊かなご指導をされました。
退職後は児童文学者として活躍されています。文化小の教え子たちをモデルとした「山本先生 ゆうびんです」シリーズは代表作です。当時の同僚、岩城紀代子先生に英訳してもらって作った「ひみつのばしょ みつけた」の絵本も機会があったらご覧になってみてください。
*思い出
劇とか三年生のオペレッタは、自作を子どもたちに演じてもらい楽しい思い出です。大学を出たての「若造」で、今思えば恥ずかしいことのみですが、たくさんのことを教わりました。そういう意味で、ちょうど六年いましたし、文化小は「母校」だと思っています。
*現在のお仕事について
評論関係では、昨年の秋まで五年間ほど東京新聞に毎月子どもの本の時評を書いていましたので、お目にふれる機会があったかも知れません。創作の最近作は、僕の中学生時代を素材にした『錨を上げて』(文溪堂)というブラスバンド小説です。図書館で「藤田のぼる」で検索してみてください。
小学校卒業生 小川誓順さん
S34卒
社会福祉法人コメット 理事
トマトハウス施設長
小川さんは上智大学卒業後、昭和四九年に日本社会事業学校に進学し、福祉の道に進むことになりました。
*現在のお仕事について
少し回り道をしたので、三十歳になった時、今の関連の仕事に就きました。
生まれて初めて足を踏み入れた精神科の病院は、治療の場というよりは、牢獄のように私には見えました。ソーシャル・ワーカーとしての私の仕事は、その時から、仕事というより戦いのようなものとなりました。鉄の扉、鉄格子の付いた窓、薄暗く汚れた畳の病室。「病院というものを変えよう」「一人でも多くの患者さんを退院させたい」「そのために、地域での受け皿となる場を創りたい」
あれから二十六年、多くの仲間の協力もあり、病院も少しは変わり、地域にも多くの受け入れの場が作られて来ました。でも、近頃社会は、後退の兆しも見えてきているのが心配です。
*後輩への一言
恵まれた環境で育つことの幸せをしっかりと受け止め、それを「力」として、社会で活かして欲しいと願っています。
正宗得三郎の「讀書」
本学園が所蔵する洋画家・正宗得三郎(一八八三〜一九六二)の油彩画「讀書」(40.7x27.1cm)がこのたび府中市美術館で開催される展覧会「没後四十年・色彩の音楽・正宗得三郎の世界」(二〇〇二年七月二十七日から九月十六日)に出品されることになった。この油絵のキャンバスの木枠には
「座せる女」および
「呈森本兄
一九二一 三月 廿一 有島」
との墨書があり、有島武郎が森本厚吉に贈ったものである。また、キャンバス裏には「讀書・正宗得三郎」と書かれた紙が貼ってあった。
正宗得三郎は、日本に初めてマチスら印象派を紹介した画家である。この絵は画伯の初めてのフランス留学時代の作品である。現存する正宗画伯の初期の作品は少なく、貴重な資料として価値が高い。
学園の歴史に関する資料ご提供ください!
学園祭では、毎年「学園の歴史展示」を行っています。
今年は創立76周年を迎えることになりました。森本厚吉先生、新渡戸稲造先生の両先生をはじめ、学園に関する古い資料(手紙、写真等)をお持ちの方はいらっしゃいませんでしょうか。学園祭期間中、お借りできたらと思っています。ご連絡よろしくお願いいたします。
連絡先 03(3381)0196 内線218 編集部まで