-3- 第355号 | 平成18年7月12日 |
短期大学 臨床検査学科 |
医学技術専門学校 |
臨床検査学科一期生として
臨床検査学科一年 石橋里佳
東京文化医学技術専門学校は今年から東京文化短期大学臨床検査学科になりました。といっても実際はほとんど変わりなく、名前が変わっただけ。といってもおかしくないぐらいです。
私がなぜこの学校を志願したかというと臨床検査技師国家試験合格率が毎年百%に近く就職先も充実していること、海外研修において外国の医療現場に触れることが出来るのは東京文化だけであること、そしてアットホームな雰囲気があるということを学校見学で体感したからでした。入学式ではこれから始まる新しい生活に期待と不安でいっぱいでした。入学式での在学、「この学校はアットホームで--」と受験時から聞いていた言葉があり、入学式後の懇親会でのなごやかな雰囲気にこの学校のアットホームな雰囲気を確信し、この学校に入学できて本当によかったと思いました。
入学式、オリエンテーションと日ごとに友達も増え、授業も入学式一週間後にはもう解剖学に実習と色濃い内容となってきましたが、先生方が熱心に時にはジョークを交えながら教えてくださり、学生同士でも分からないところは教えあったりしてなんとか頑張っているところです。一日かけて臨床検査技師の仕事の一部を体験する一日体験実習では、模擬腕を使用した採血や脳波測定、尿検査などを体験しました。一部ですが実際の仕事を体験し、この職業への興味深さが以前より増したと同時に、医療技術者という責任の重さと仕事の難しさ、これから学ぶことへの不安が今まで以上に感じられました。
それでも簡単にあきらめないのは国家試験に合格し、私の夢である臨床検査技師になりたいからです。しかしまだどれだけがんばれば良いのか分かりません。まだスタートラインに立ったばかりなのです。三年後、国家試験合格とともに就職が決まり、この学校に来て良かったと思えるように勉強はもちろんのこと、学校生活をより有意義に、より楽しく過ごせるようにしていきたいと思います。
新人教員紹介
「何よりもまず体力を」短期大学臨床検査学科
専任助手 皆川祐子
「皆川先生」聞こえる度に「ドキッ」とし、先生方から「皆川先生」と呼ばれようものなら、内心「いやー大変恐縮です。皆川!と呼んで下さい」と思う新米教師の皆川です。この三月まで大学病院で勤務していました。それ以前は桃園校舎の学生でした。
私は「母校に帰ってきた」のです。「教師になった私に一体何ができるのだろう?」と自問し、出た答えが「社会適応能力のある人間を育てる事」でした。今まで病院で働いていた経験を生かさないのはもったいないと思い、「現場で望まれる検査技師を一人でも多く育てよう。」と決めましました。単に学力が高いだけでなく、社会に自分自身が馴染む能力を持つことも大切だと感じているからです。
大きな目標を立てたものの、毎日学生達が実習とレポートに追われている姿を見て、「学生にとって最も大切な事は三年間の学生生活を無事乗り越えて国家試験に合格することだなー」と、思っていますが…。
学生の皆さん。検査技師になるには『体力』をつける事です。
『体力』は医療人の必需品ですから。
新人教員紹介
東京文化医学技術専門学校
専任助手 高嶋眞理
四月から母校の専任助手になりました高嶋です。高校・医技と六年間お世話になりました大好きな東京文化で働かせて頂ける事に感謝しております。
医技は、今年四月に専門学校から短期大学へと変貌を遂げ、その記念すべき時に立ち会えた事に本当に嬉しく思いそして、どんどん発展していく母校に誇りを持つことと努力する大切さを教えて頂きました。
私自身は医技を卒業後、東京医科大学病院に就職しました。
そこでも「東京文化」と言うブランドで多くの先輩達に守られかわいがられ、ご指導頂ました。
去年の十月に縁あって医技の臨時職員になった時は、ブランクもあり不安でいっぱいでしたが、教務・事務の先生方に教え助けて頂き現在に至っております。
学生の時は文句ばかり言っておりましたが、いざ自分が教務で働かせて頂いておりますと、学生のレポート提出一つとりましても正しく、徹底させることは難しく反省しきりです。このような熱心な先生方のお陰で国家試験合格率や就職率も百%になっていると実感致しました。先輩達の作ってきた道を後輩達につなぐ為にも、最高の結果を残せるように努力していきたいとおもいます。