学荘だより4号


 荘長、副荘長につづいて今回はプログラムディレクターからの報告です。

 さてさて、つい先日、美土代町からバスに乗ったような気がするのに、早くも中盤戦を迎えている野尻湖畔の我等が学荘であります。

 学荘の特別プログラムは数々ありますが、その中で、ボーイズのみならず、我々リーダー・スタッフの心の中に大きなウエートを占めるもののひとつとしてアウティングがあります。
 このプログラムは文字通り、テントと食材を担いで学荘のキャンプサイトを“アウト”するものです。

 以前ですと、中学生は野尻湖畔のそれに適した場所までカッターで行き1泊する。高校生は2泊3日で妙高山(標高 2、445米)にアタックするというパターンがありましたが、昨今、若干の様変わりを見せております。

 まず、中1キャビンでさえ斑尾登山。中2・3キャビンが3キャビンあるうち、ひとつのキャビンは、出発決意表明のときに「ほくたちは妙高」と言った後に「高原ロッジの庭」と小声でつけ加えましたが、彼等にしてもロッジの風呂には絶対入らないというストイックさを見せました。それと言うのも彼等以外の2つの中2・3キャビンは、笹ケ峰牧場までマイクロバスで、そこから3時間以上の登山道を踏破して高谷池にテント泊、翌朝4時に起き3時起きをして火打山頂(標高 2、462米)でご来光を拝もうという計画をたてていたのです。

 現在(16日午後1時)高校生1キャビンを残して、皆、無事に帰荘しています。
 高谷池に至る途中に気分が悪くなり引き返してきたボーイズ(彼のキャビンリーダーは、彼を笹ケ峰まで送って、再び高谷池を目指しました)、道を間違えたキャビン、御飯がコゲだらけだったキャビン、帰荘して「ただいま」とマイクロバスから降りた拍子に転んで足を怪我したリーダー等々、本当に悲喜こもごもの1泊2日に小旅行だったようです。

 帰荘した彼等の、疲労と達成感がないまぜになった表情を見ていると、このアウティングを終えて、彼等の帰る場所が、それぞれ家から学荘へスライドしてきた、所謂「学荘へ帰る」という心情を共有できる仲間になってきているという実感を持ちます。いよいよ本格的に学荘が始まってきたのかも知れません。

 大きな大きな石車は、それが大きければ大きい程、回り始めるまで多大な労力を要しますが、1度動き始めたら物凄い勢いで回るはずです。
ぼくは、今、その動き始める時に生じるスウィング感を感じています。

(プログラム・ディレクター 小出啓介)


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