「第68回 野尻学荘だより」

No.68−04

発信日:2003/08/16(Sat) 18:27




 8月13日(水)午後6時の天気予報図では、明日から雨になることが容易に予想できた。日本列島の南に横たわる梅雨前線が、野尻の周辺にしとしとと降る雨を予測させ、冷たい北風が絶え間なく続くことを物語っていた。

 一日中雨が降ることが分かっていながら、ボーイズたちを野外で一泊させることが心苦しかった。同様に、ボーイズから片時も離れることなく一緒に生活しているキャビンカウンセラーや、陰に日向にボーイズたちの生活を支えているプログラムリーダーを雨と分かっていながら野外に送り出すことにも不安を感じていた。
一方、アウティングを中止するということは、各キャビンからまる2日の生活を奪ってしまうということも知っていた。アウティングは2日間にわたる長いキャビンアクティヴィティだ。それを経験することで、学荘のキャビンで生活するということ、ひいては自分の家族や家庭のことを心の奥の方でじんと感じることができることも私は知っていた。それだけに、結論の出ないままの就寝となった。寝苦しく、浅い眠りだった。

 翌日8月14日(木)は雨。キャンプサイトの草木がつややかに緑に光りながら雨を受けていた。草花は雨に濡れると光るものなのだ、と思った。早朝のスタッフ会議で、アウティングは決行することになった。その後、私は各グループに一部の目的地を変更するように求めた。積極的に登山することを勧めずに、安全なテント場での野外生活をするよう投げかけた。そして、雨に濡れている草花を想った。

 自分たちで決めた目標を変更することもキャビンで行う。判断はグループに委ねられている。あるグループは登山をあきらめ、下草を刈ってテントを張った。翌日、なごり惜しむように登山口まで歩いた。あるグループは、バスで移動した登山口までの20数qを、すべて徒歩で学荘へ帰ってきた。またあるグループは、傾斜した地面にテントを張ったため、寝ているうちに片方にかたまるようにして眠り、雨をしのいだと報告した。

 確かに、野尻キャンプに戻ってくるグループの姿は逞しいものだった。力強い陽の光がさす昼下がり、体より大きなザックを背負う姿がひとまわり大きく見えた。
そして一様にみな笑顔だった。

雨を受けて光るものがあるのかも知れない。
暴風雨の中をわざわざ外出させることは論外だ。しかし、あたたかな場所を自分たちの手で作り出せるような機会は可能な限り準備するべきなのだろう。グループを送り出したときに感じた、私の中の雨は今、学荘を走り回るボーイズを見て、晴れに変わった。

雨を受けて光るものが、確かにある。
まる一日の雨が、なにかを洗い流して、つるんとした、新しいグループが今生まれた。その面白さを彼らは残りの日々で感じていくことだろう。

(各キャビンのアウティング行程)
中1キャビン
#11(石澤リーダー)
旧青山学院キャンプでテント泊して野尻湖一周。
#12(野村リーダー)
竜宮崎でテント泊して翌日斑尾山登山口まで往復。

中2・3キャビン
# 7(角本リーダー)
大池湖畔でテント泊、斑尾の湯に入り、登山口で山行断念。徒歩で帰荘。
# 9(宮川リーダー)
#7キャビンと同じ行程
# 8(両角リーダー)
池ノ平YMCA妙高高原ロッジまで約12qを徒歩で行き、庭でテント泊。帰路も徒歩にて帰荘。

高校1キャビン
# 2(野地リーダー)
バスなどで笹ヶ峰まで移動、笹ヶ峰キャンプ場にてテント泊。帰路杉の沢まで徒歩で下山、バス・電車にて帰荘。

高2・3キャビン
# 1(佐々木リーダー)
バスなどで笹ヶ峰まで上り、すぐ徒歩にて下山開始、池ノ平妙高高原ロッジ庭にてテント泊。翌日ロッジから学荘まで徒歩にて帰荘。笹ヶ峰より学荘まで全行程徒歩での帰荘は初めてのこと。

学荘便り68_4

(8月15日 リーダーシップディベロップメントディレクター 東貴宏)

*写真はアウティングの準備で、テントの点検の様子。


注記:この「野尻学荘だより」は会期中野尻学荘現地から直接BBSにお送りしたものを再編集しました。


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