それほどに凄い雨であった。
傘をさしていても全く効果がないくらいに。
そんな状況なので、皆てんでに散らばり、雨宿りしていた。
「こりゃ堪らん」
傘さえ持っていなかった私は、今朝の天気予報を恨みつつも雨宿りの場所を求めて走っていた。
はうはうの体で駆け込んだ所が、ある寺院の山門の下。
静かな住宅地の中にあるこの寺の山門は、道からも程近く、雨やどりには至極有り難かった。
と、先客が居る。
年輩の紳士が空を見上げながら立っているのだ。
羅生門じゃあるまいし、少し大道具が過ぎるかとも思ふのだが、さて。
先客が妙齢のご婦人ならば、礼儀を多少とも知る栗田としては、カミナリの音にさぞご不安であらうかとも気遣い、なにくれと配慮いたすところなれど、吾のごとき駆出者が気軽に声をかけるのも失礼かと思い、黙って腕の滴など払っていた。
土砂降りの雨のなか。
どれほどか経ったであらう。
「ずいぶんと降りますな」
振り返れば、くだんの紳士。
雨の細かい飛沫に濡れた眼鏡の奥。
細めた目で低い空を見上げながら、独り言のように話し始める。
「かみなりみっか、と申しましてな。今日がこんな案配ならば明日も恐らくかうでせうな」
「はあ、さうなんですか。みっかって、三日のことですか?」
私は不意を突かれたことに軽い焦燥感を覚えつつも、少々浮き足立ちながら相の手を入れる他なかった。
「ええ、三日です」
「はあ、三日ですか」
「夕立は、うまのせごえと言いましてな」
「うまのせですか」
「ああ、馬の背中のことですよ」
「はあ、馬の・・」
「私はね、この言葉はね、馬に乗った昔の武士が長い隊列を組んで進んで行く様の事をさしていると思うんですよ」
「大名行列ですか」
「長い隊列の先と後ではね、世界が違って当たりまえって事です」
「はあ・・・」
その時、私は紳士が傘を持っていることに気が付いた。
黒く地味で、どこにでもあるやうな男性用の傘である。
「傘、お持ちなんですね」
紳士は、ここで初めて空から視線を手元に落とした。
「ええ、ついそこの角まで行ったんですがね。この雨でせう。ここまで戻って来たんですよ」
そして、再び空を見上げ、ため息を吐くやうにつづけた。
「こんな雷雨に歩くのは愚かですよ」
私は、その言葉にわずかな違和感を感じた。
「愚かなんですか?」
「ええ、私は山や森でずいぶんと知っておりますから」
その言葉に、私のわずかな違和感は、この人物への興味に変化した。
「山や森にいらしたんですか?」
「ええ」
紳士は、さう言ったきり空を見上げ口を閉じた。
私は紳士の術中にはまってしまった事に気が付いた。
なんとかこの人物の事を知りたいと。
「あの、山なんかでは、その、カミナリなんかだうなんですか?」
我ながらしどろもどろである。
「すいぶんとスゴイんでせうね。木とか裂けたりして」
紳士は、少し訝るやうな視線を私に降ろし黙っている。
私は、ここが勝負所である事を感じた。
「ほら、木の下は危ないとか。いろいろとね、・・あるでせう?」
やがて紳士は少し諦めたような表情をした後、また空に視線を返しながら、思い出すやうに話し始めた。
「さうです。木の下はいけません。木の高さと同じだけ横に行き、そして数歩戻りしゃがむんです。大きな岩などあれば、その影に隠れます」
「その、やはり、金属などは外すんですか?」
「人の体の75%は水分です。意味は無いでせう。
しかし多少の気休めにはなりませうな」
私は75%という数字が紳士の口から出たことに少し愉快さを感じた。
「今日も死ぬでせう。この都会でもね」
「へ?」
「人は思うんですよ。自分には当たらないって」
「カミナリが・・ですか?」
「確かに当たる人は希です。しかし、必ず誰かに当たるんです。・・必ずね。こんな日には、きっと外には出ないことです」
その時空にいかづちが走り、それは紳士の眼鏡に鋭く反射した。
(おいおい、少し出来過ぎじゃないの?)
私は、そんな状況を少し楽しむ思いで空を見上げ、次の言葉を探しはじめた。
激しい雨が山門に弾け、そこから大粒のしずくが、ゆっくりと規則正しく落ちてくる。
石畳に当たる雨の音と、時折空から響く雷鳴。
どのくらい見上げていたであらうか。
「靴ですけどね、安全な靴と言うのは・・・・」
私は、やっと見つけた陳腐な問いと共に紳士を振り返った。
(あれ・・?)
そこには誰も居ない。
慌てて辺りを見渡す。
寺の本堂が雷雨に白く煙っている。
その向こうの墓地には、卒塔婆の列が木の色と梵字をかすませ墓石と共に不規則な列を見せている。
(なんだ、帰っちゃたのか。挨拶もしないで)
私は、無性に煙草が吸いたくなっていた。
事務所の引き出しの左奥。
そこは煙草の隠し場所。
(まだ残ってたっけかな、タバコ。残ってるといいなぁ・・・)
そんな事を思いながら、私は再び土砂降りの空を見上げていた。
てなワケでして、今日もゴロゴロ鳴ったです。
明日も鳴れば「雷三日」ですわね。
ほんじゃば、そーゆーことで。
栗田 拝