学園のこころ

スマイルとエンジョイ

森本   晴生

  校歌に「自由の行く手いかに曇るも、乙女(おとめ)は笑(え)まいてただ拓(ひら)き行く」という一節がある。自由が失われそうになっても、乙女はほほえみ(微笑み)ながら、道を開いて進んでいくという意味である。本校の前身である女子経済専門学校や附属高等女学校で、この「自由」を求める校歌を太平洋戦争下でも歌っていたということは、まさに驚異的なことである。ここでは、「微笑み」(スマイル)ということを考えてみたい。
  この頃の日本では他人にほほえむことはなくなったといわれている。特に、東京のような大都会では、家族や友人に対してほほえむことはあっても、近所の人や通行人にほほえむことは皆無に近くなった。一つには商業主義による営業用の微笑が多くなる反動で、対話としての笑顔がなくなり、町を歩く人は仏頂面になってしまっている。スーパー、コンビニ、ファーストフードの店員が、マニュアルどおりに笑顔で「いらっしゃいませ」を言えば言うほど、客は無表情でいようとする。この「いらっしゃいませ」は、客の目を見ていないし、答えを予定していない。客は目を見返せないし、返事のしようがないのである。それで、客は無表情で予定の行動に移っていくのである。
  もう一つは、自動販売機、ファミコン、パソコンの普及によって、人ではなく機械と対話する環境が発達したので、人に対する応対が少なくなり、笑顔が消えていったと考えられる。機械に対してほほえんでも、これといった変化はないのである。
  英語で一番長い単語は何かというクイズがある。たしかに何十字かの長い単語がある。地名では100字を超えるものがあるそうだ。しかし、面白い答えとして、スマイルの複数形“smiles”は初めから終わりまで1マイル(1.6km)もあるから、一番長いというものがある。スマイルの大切さを示したものと説明されている。スマイルとは、照れ笑いではなく、相手を包み込むほほえみであることが重要なのである。
  アメリカやカナダの町を歩いているとき、出会った人と視線が合うと、ニコッとほほえんでくれることがある。旅先でホッとする場面である。これには、あなたに敵意を持っていないという意味があるとも説明されている。
  明治や大正の頃にアメリカを旅した新渡戸稲造森本厚吉の先生方も同様の経験をしたであろうと思う。校歌のこの節は、立場や考えが違っていても暖かく受け入れ、それを尊重することが重要であることを説いたものだろう。暖かく受け入れるとは、尻馬に乗るとか、付和雷同するとかをいうのではない。相手の主張を理解し、あるいは理解できないまでも、そのような主張をしていることを承知し、認めることである。

  スマイルに近い言葉にエンジョイ“enjoy”という言葉がある。普通、「楽しむ」と訳されているが、「享楽する」という言葉も英和辞典には載っている。筆者は、初めのうちは、ゲームをして楽しむような意味だと思っていた。それが、どうもこれは単なる「楽しむ」ではないことに気が付いた。少なくとも、面白い話を聞くとか、好きな音楽を聴くということではなく、面倒なことを仕上げたときや、現にそれをしているときにも使われる。
  これにはっきりと気づいたのは、アメリカのサンフランシスコ大学図書館に行ったときのことであった。入口でパスポートを示して「私は『非営利法人会計』の本を探しているので図書館の本を探させてほしい。」と職員に頼んでみたら、数分後には臨時会員の申込書1枚の記入だけで入れてくれた。
  あやふやな英語とおぼつかないコンピュータの知識で、探したい本を日本と違うコンピュータで検索してみたり、何階にも分かれた書架を見に階段を昇ったり降りたり、コピーしたりして、1時間くらい経ったとき、入口にいた職員と廊下ですれ違った。そのとき彼は“Are you enjoying?”と、笑顔ですれ違いながら声をかけてくれたのである。
  彼は、私が楽しい本を探しているのではないことは知っている。実際、なかなか本が見つからないということは、決して楽しいことではない。彼が言ったのは、「自分がしたいと思ったことができてますか?」という意味であろう。自分がしたいことをするのは、部分的にはつらくても、全体としては楽しいことである。それを側で見る、受け入れるのはスマイルに値するのである。
  このときスマイルは「享受する」という表現が近いのかなと思った。

  失敗したときに、「もう一度やってみよう」という意味で“Try again!”が学園の歴史の中で使われている。これは、カーライルの話としても、森本厚吉の話としても、誤って燃してしまった(燃されてしまった)原稿を書き直すときに使われている。何日もかけて書いた原稿を書き直すのは楽しいことではない。しかし、自分で考えて書いた原稿は、同じ材料があればほとんど同じように書くことができる。相当の手間がかかるから、積極的に試したいとは思わない。
  これもエンジョイの分野の話である。
  じつは、筆者も書いた原稿を紛失してしまい、もう一度書いたことはある。試してみたところ、前のとおりの内容に仕上げることができるだけでなく、所要時間は短くなった。これは、初めに書いたときに材料を集めることと話を組立てることで苦労したから、2回目の時は割と簡単に組み立てられるからである。ただし、第1回が1か月かかったとすると、2回目は15日でできるという意味であり、2,3日でできるというほど短縮できるものではない。もっとも、3回目に書いたら10日くらいでできるかもしれない。
  実際には、いったん書き上げたということは締切日に近く仕上げているはずだから、2回目は2,3日しか余裕がなく、ほとんど徹夜のような状態で仕上げるのであろう。でも、できあがってみると、スマイルであり、あとになって振り返ってみればエンジョイなのである。

  スマイルとは、仕事を楽しみながらすることであり、義務の中に成し遂げたときの喜びを感じることをさすのであろう。

(もりもとはるお  常務理事:執筆当時)
文化生活  1999  38号《学園のこころ》掲載


サンフランシスコ大学には図書館がいくつかあるようです。
さて、筆者の訪れた図書館は一体どれでしょう。
皆さん探してみてください。
(編集者)
Glesson Library
Law Library
Bay Area Library Catalogs



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