東京文化医学技術専門学校は、我が国で一番最初に創られた臨床検査技師の養成校です。
1952年(昭和27年)、東京文化短期大学の中に「医学技術研究室」として開設されました。その3年後の1955年、我が国最初の臨床検査技師養成校「東京文化医学技術学校」となり、1976年に現在の「東京文化医学技術専門学校」の名称になりました。
初代校長は五千円札で有名な「新渡戸稲造」先生で、中野区本町の校舎にはその胸像があります。
創立より約50年間、女子校でしたが、平成14年度入試より男女共学となりました。
また、平成18年4月の東京文化短期大学 臨床検査学科の開設に伴い、募集を停止し、本学園における臨床検査技師教育を東京文化短期大学 臨床検査学科に引き継ぎました。
新渡戸稲造についてもっと詳しく知りたい
本校は例年、高い国家試験合格率を誇り、近年では平成10・12・16・18年が合格率100%でした。また、その他の年でも高い合格率を保っています。
国家試験合格状況
桃園って...
学園内で、医技の校舎は、「桃園校舎」と呼ばれています。
1987年、東京文化学園創立六十周年記念事業として医技校舎のみ、短大等の校舎群からは歩いて15分程のところにある現在地に新築、移転しました。
「桃園」とは、現在の所在地の旧地名であり、今ではその町名表示は無くなりましたが、
周辺には「桃園商店街」や「桃園」の名称を付けている商店・医院などがあります。
臨床検査技師
臨床検査技師という資格
- 「臨床検査技師」は、厚生省が認める国家資格です。
- 免許を取得するには、まず、国家試験の受験資格を得なければなりません。高校卒業後、厚生労働大臣が指定した臨床検査技師養成学校(修業年限3年以上)を卒業するとこの受験資格が得られます。実際には国家試験は毎年3月初旬頃に実施されるため、3年生は在校中に受験することになります。また、合否発表は4月中旬ですが、国家資格取得見込み者として卒業直後の4月から就職しています。
- また、本校卒業後は、文部科学大臣告示により「専門士」と称することが出来ます。
- 参考
- 社団法人 日本臨床衛生検査技師会ホームページへジャンプ
- 社団法人 東京都臨床衛生検査技師会ホームページへジャンプ
専門学校(専門課程)とは
- 学校制度による分類では専修学校・各種学校と呼ばれる分類の中に含まれます。
- 専修学校の中でも「高等課程」と呼ばれるものは中学校卒業者を対象とします。更に高度な教育を目的とし、高等学校卒業者を対象とする学校を「専門課程」といいます。
- それ以外の教育を行う専修学校が「一般課程」です。
- 上記の「専修学校」に含まれないものを「各種学校」と呼びます。
専門士とは
- 一定の条件を満たした専門学校(専門課程)では平成7年3月の卒業生から、「専門士」という称号が付与されるようになりました。
- 専門士の称号授与書には終了した課程・学科名が記載され、学習した技術、技能、教養の内容を第三者に提示することができます。
- 既に国家公務員では採用時の扱いは専門学校と短期大学卒業者で同等となっていますが、企業でも「専門士」取得は採用時に考慮されるようになってきています。
就職について
- いま求人者が採用者に求めるもののひとつは「即戦力」でしょう。
- 専門学校(専門課程)卒業者、特に資格を持つ者は採用者にとっても魅力のある人材となり、就職率も高くなっています。
- 特に「臨床検査技師」は養成施設として認められた学校を卒業しないとその国家試験受験資格が得られません。
- 「臨床検査技師」はまさにスペシャリストであるといえるのです。
卒業生
- 本校は創立以来五十年の間に2,600名を越える優秀な臨床検査技師を送りだし、その卒業生たちは全国の著名病院、検査センター、製薬会社、医療機器メーカーなどで活躍しています。
更に卒業生は社会に出てからも勉学に励み、既に5名が医学博士となり、一級臨床病理技術士認定試験に合格したものも多数にのぼっています。
現在の医療は臨床検査技師、および医師、その他の専門職とのチームワークで進められているともいえます。そんな中で、優秀な臨床検査技師は様々な医療現場から引く手あまたとなっており、男女を問わず生涯をかけるにふさわしい専門職の一つといえます。
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